2015年3月15日日曜日

テレマン part 2

そうこうしているうちに、テレマン公演の日がやってまいりました。

昨日は移動の車中で、彼が書いたブロッケスの受難オラトリオを聴いておりました。

ブロッケスというのは、当時のハンブルグ出身のドイツ詩人。

ドイツ語協会なんかを設立しちゃったりしていて、ドイツ語、そしてドイツ文学に貢献した大物詩人だったのでしょう。

昔は実はドイツ語って、今のように整った言語じゃなかったんです。

地域によっての方言みたいなものがかなりあって、ドイツ全体共通言語といった感じではなかったみたい。

まあ、神聖ローマ帝国と言われるような時代から、絶えず領土が増えたり減ったりしてたわけで、今で言うポーランドやオランダ、ベルギー、様々な国が領土だった時期もあるわけだから、とにかくラテン語、イタリア語、フランス語、オランダ語、諸々が話されているところにどーんっとドイツ!と言っているわけ。


しかも、イタリア文化、フランス文化なんかは洒落た文化とされていたから、洒落たい貴族はやたらとイタリア言葉、フランス言葉を混ぜていたらしく、

もう、訳の分からないチャンポン状態笑。

それがそもそものドイツ語だったとさ。

今のドイツ語からは想像できませんよね〜。


まあ、今の日本でも、やたらカタカナ言葉入れて話すこと、ありますよね。

(もうコンピューターなんかになると、カタカナばっかりで、Windowsにやたら聞かれる質問、全く何言ってんだかわかんなくて、とりあえず「はい」をクリックして深海にハマったこととか、ありません?私は何も聞いてこない、という理由でMacへ逃げました笑)


なので、「おい、ドイツ語、こんなことではあかん。」

っと言う文化人たちが、

『美しいドイツ語』

これに文化の花を咲かせる瞬間がバロック時代なのです。


まあ、これも、ルターが聖書をドイツ語に訳したあたりから大きく動きはじめたのではないかしら…

ドイツ語協会、というのはそういう背景があるのではないかと思います。

そんな著名なブロッケス、一つ彼の名言をご紹介しましょう。

「愚か者は、
金を持って死んで行くために
貧乏に暮らす」


うぉう、うぉう、これだけの言葉数で
これだけのメッセージ性、
やりますな、うむ。

このブロッケス、オラトリオというものを書きました。
オラトリオといえば、宗教を題材にしての抒情詩、
もっとわかりやすくいうと
劇のように情景をリアルに感じれるように
書かれた形のもの。

バロックの「生々しい表現」を象徴するような形式とも
言えるでしょうね。

彼のオラトリオは
『臨終のイエス』

日本でいう、武蔵弁慶の闘いみたいな
人の心を掴む永遠のテーマですね。

これが数カ国語に翻訳されたようですから、
ロングセラーだったということでしょう。

これに音楽家たちがインスピレーションを受けて
こぞって音で描写を加えた、

ヘンデルも、
テレマンも。

(他、是非聴いてみたいのが、
シュテルツェルという作曲家のもの。
オススメらしい。)

今日の話し、テレマンじゃないのかい、

っていうくらい前置きが長くなりましたが、

刺激を受けたテレマンのブロッケス受難オラトリオ、

冒頭のsinfonìa、

すっごいいいです。

なんだか、
モーツァルト?いや、ベートーヴェン?
みたいな、時代を超越した感じの始まり。

そして、

オーボエはイエス?

と思わせるような演出。


そこに絡み寄り添う
ヴァイオリンの音色の使い方!


 中間部にくるとでテレマン、
オーボエになんとまあ、大それたことを...

それを聴けばもう溢れんばかりのエモーションに
押されていくようで

たまらなくなるのですー。



私はルネ•ヤコブの録音を聴きましたが、散々饒舌に語った後に、

最後にヴァイオリンの一言で

私たちの気持ちを
これから始まる話へと引き込んでくれるんです。


彼の楽器の使い方には
本当にセンスの良さを感じます。

いやあ、テレマンのイメージ、
変わります。