2015年3月24日火曜日

魅力的になりたければ、謎をまとうこと

タイトルに書いたフレーズは、残念ながら私の言葉ではありませんで、
ココ・シャネルの一言・・

前回は着物の文様のお話をしました。

その日にふさわしいテーマを身にまとい
見る方はそれを読みといてその日を感じる。

知的興奮さえ覚える粋なおしゃれのお話を聞いていただきましたが、

今度は西洋篇でお届けしたいと思います。

ところで・・・
いきなり話が外れますが

私が専門とするバロック音楽、
「聴きやすいですね〜」
「癒しですね〜」

とおっしゃる方と

「よく分からないんです↓」

とおっしゃる方といらっしゃいます。

「よく分からないんです」とおっしゃる方も
素晴らしい感性だと思います。

そう感じることは、的を得ているんです。

だって、まず普段聴きなれないものは、すっと体には入ってきませんよね。
なにせ、200年以上も前の人たちが聴いていた音楽なんですものね・・・
200年前の人たちの感覚さえ、想像できるものではないし・・

とはいっても・・・

実は、音に対する反応という意味で考えると、
感覚的なところっていうのは、
人間である限り、結構同じだと思います。

200年前に用いられていた音の使い方、
私たちの聴き慣れているヒット曲なんかで
使われていたりします。

でも、やっぱりその時代時代の作風というのがあって、
つまり、美の追求の仕方はその時その時
違ってくるので、
その作風が読み解けないでいると、
「なんだか分からない」
という気持ちが働いて、
「分からない」と思った瞬間から、
感覚の穴が閉じてしまう。



私が最近体験した「分からない」はモダンアート。

ニューヨーク滞在中に、
賛否両論で有名なアーティスト、ジェフ・クーンズの展覧会を観に行ったんですが、




「何がなんだか全く分からん・・・」

ゴッホやモネなどの絵のように
色彩や筆遣いを楽しむ、とかいうんじゃないので、

どこをどうみたらいいのか戸惑い、
一体そのメッセージが何なのか、全く分からないのです。

最初は一人で観ていたのですが、
遠方で夫君は「なるほど〜」という面持ちで作品を眺めているため、
その隣で説明をしている義理の兄のそばで私も鑑賞することに。

そのおかげでしょう。
しばらくすると、なんとなく読み取る鍵みたいなものをつかませてもらったようで、
感覚の穴がポツポツと開いてきた。

だからと言って、メッセージが読めたとかどうかは定かではないのですが、
自由に感じれるようになるから、ある意味それだけで楽しいしおもしろい。


というのも、
ジェフ・クーンズ自体は
美術作品が隠された意味を持っているということを否定していて、
「意味は最初の一瞥で受け止められたものだけで、
作品それ自体の中にあるものと、
受け止められるものとの間にギャップはない」
と言ってるんです・・・

そんなこと言われてもー、
マイケルジャクソンと猿がキンキラの陶器になっている姿を観て、

「・・・で?」
と感じた私はどうしたらいいのー!?
と思いましたけどね。。。



あ、でもキンキラは感じたわけだ!(笑)

つまりそこからもっと自分の感覚の紐をといていけばいいのか・・

兄の話を聞いているうちに、その紐解きの仕方をなんとなく教わったような気がします。

もっとも、美術史の流れやジェフ氏の流れ全体を知っている兄の注釈が
あったからこその読み解きだったような気もするけどぉー・・

そういう兄も(彼もアーティストなんです)


Arturo Herrera

自身の作品について、


「これって、何かしら自分から発信するメッセージや意味はあるんだよね?」

と尋ねると、

「あるにはあるが、それを知ってもらおうという思いではおらず、
とにかく観る人が受け止めたことそのものが作品のメッセージ。」

・・・的な返答でした。。。

ややこしいわー。


人はやっぱり
謎の妙薬に惹き付けられるってことなのかなー。

その謎の中で、作品と自分自身との共有が始まる
そんな体験的鑑賞のできる作風がモダンアートなのかな、と思います。

そうするとやっぱり、ゴッホやモネの時代の眼鏡で観ては
感覚的に通じないはずですよね。



同じように、
音楽でも紐解きの仕方を知れば、
感覚のツボが開いてきます。

「分からない」と感じたらしめたもの。
自分とその作品が共有できる何かが
その背後に隠れていますよー。





あらら、
今日はこの絵について書こうと思っていたのですが、





あえてのまま、幕を閉じることといたしましょう(笑)。