2015年3月5日木曜日

怨念。

今日はとうとう、今季初めてのウグイスの歌声を聞きましたよー。




























あ、いや、ごめんなさい。本物のウグイスなんです。ホントです・・
なかなか姿まで撮れないんで
こんな画像でごまかしました・・























これから一気に、動物から植物から様々なものが顔を出し始め、
音、色、にぎやかになりますね。
花粉症で春が憂鬱な方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、
いろいろ試しながら乗り切ってくださいませ。




前回の着物のお話続きます・・・

今回は、ちょっとおどろおどろしい表題にしてしまいました。



怨念。。。。
この言葉、とっても久しぶりに聞きました。


先日の着付け教室でのことなんですが、
ふとしたタイミングで先生が

「着物は、リサイクル等で買ってはいけませんよ。」

っとおっしゃるのです。


・・・・?



「怨念がつくから、ダメ!」



親から受け継いだものだったりなら良いらしいのですが、
リサイクルのように、誰のものだったか分からないものは、
素性というのか、着物にまつわるいきさつが分かりませんよね。

そのモノに染み付いている念というものがあるので、
気を付けなさい、ということなのです。




変な言い方になってしまいますが、
これぞ日本文化・精神だわー



っと、妙に感心する私でした・・



確かに、モノでも心があると感じる瞬間、ありますよね。


身近なものでいうと、車。


以前私はまったく無頓着だったんですが、
エンジンオイルを替えたり、車を洗ったりするたびに夫が


「ほら、音聞いてご覧よ。喜んでるじゃない。走りも違うよ。」

って言うんです。



この人何いってんだぁ?でも、その感性いいねー。

なんて微笑んでいたんですが・・


いや、ほんとだ、喜んでるわ。。。。。



私たちの家なんかもそうです。

私たちの家はもう築30年以上にもなる古いお家なんですが
(古いといっても、築200年とかいうお家が立ち並ぶ近所では充分若い笑)

引っ越してきた当時は、
家に見られているなー、という感触でした。

面白いのが、動物達も見に来るんです笑


ウサギ、鹿?(まさかそこまでのどかでもないと思うのですが、あの夜、足としっぽを見てそう思った・・たぶんイノシシ?)、
とにかくいろんな動物が私たちの居間の窓のそばで一旦立ち止まっていくので、

うわあ、これから動物に囲まれての毎日〜?

なんて興奮していたら、

なんてことはない、どいつが越してきたのか確認したかっただけのようで、


しばらくすると、めったに出てこなくなりました笑。



話が激しくずれていきそうなので、家の摩訶不思議のお話は
またの機会にいたしましょう。



・・・というわけで、先生のお言葉がどーんとお腹に響いていた私なのですが、
ふと、


「あれ?そいじゃあ、楽器はどうなんの・・・?」



ヴァイオリンというと、
ゆうに200年とかを越えてきて、
たっくさんの人々に演奏され、
たっくさんの喜怒哀楽の中に埋もれ、
たっくさんの物語を持っているんですよね。


確かに、
ヴァイオリンでも、似たようなアドヴァイスを頂いたことがあります。


「ヴァイオリンは不健康なものを選んじゃいけないよ。
                      運命が変わってしまうから。」


例えば、過去に見た楽器では
それはそれは有名な製作家の楽器なんですが、
表板、裏板、横板、それぞれ同じ製作家の別のヴァイオリンの残骸(失礼!)
を寄せ集めて出来たヴァイオリンとかもあるんです。
(それが不健康なのかどうか、という判断はあくまでも個人的ですよ。
「その事実があるから」ということでの判断というよりは、
演奏した時「私のヴァイオリンではないな」という感覚が残った、というだけです。)



尊敬する友人のその言葉は、
これまで楽器と向き合うための私の「眼」を養ってきてくれたと思います。


でも、結局巡り会わせ、というものがあると思います。

だから、
どんな楽器であれ、
自分が手にしているということは、
その楽器から学ぶことがある、ということなのです。




これまでいろいろなヴァイオリンに巡り会い、また育てられてきた私ですが、

やはり楽器は弾き手を選んでいるように思います。

もっとしっくりする言い方をすると、


楽器と、それ自体が持つ波動に似通ったものを持つ人とが
お互いに自然に引き寄せられていく


そんな感覚でしょうか。

自分を例に挙げても、

それぞれの成長過程にあったヴァイオリンが私を探してくれて、

次のステップへと新しい楽器をまた連れてきてくれている。


ほんとに人との巡り会いと同じですね・・・




そんなことを考えると、
どんな物語を背負っているのかも分からない古着でも、
まず見てみることは逆に大事なのではないかな、っと思います。


日々努めて心身を浄め、
調和とつながっていられるよう
精進を続ける。
そうすると
全くそれと異なるような空気や念を持ったものは、
引き寄せられないはずです。


怖がらず、
自分の勘というものを信じて、
敢えてそのモノの背景を感じてみる。


こういう「眼」というのか、
感性を育て鍛えることは
大事なんじゃないかな。


そしてもっというと、
どんなものでも、
自分が愛情をかけて持つことによって
「自分のもの」になっていく・・

そんなふうに
無限に変化していく可能性を
全ては秘めているのではないかな。