2015年6月20日土曜日

続報

今日もまた7月のご案内をさせていただきます♪

今回ご紹介するのは、新シリーズ♫


以前にブログでちらっとお話をしましたが→http://anima2concordia.blogspot.jp/2015_05_01_archive.html

パウルがこのところ仕込んでおりましたデュオ、
いよいよ誕生いたします。

アニマコンコルディアのコンサートでは、アンコールになると
パウルの母国、ヴェネズエラの音楽を演奏するのが通例となっておりまして、
・・ともすると、そちらのほうがお客様にウケてしまう、という
嬉しいような、悲しいような(笑)、反響をいつもいただくのです。

ヴェネズエラの音楽の叙情性が、なんとなく
バロックのそれと繋がるような感覚を覚える作品もあり、

過去に試みとして、バロック作品と、ヴェネズエラの作品をミックスしたプログラムの
コンサートを企画したこともあるくらい、
皆様に是非ご紹介したい、とかねがね思っているジャンルなのです。

ここに予期せぬ天の計らい♡
ヴェネズエラ音楽を愛してやまない日本人ギタリストとの出会いがありまして、
ヴァイオリン+ギター、そしてヴェネズエラの撥弦楽器、クワトロのデュオということで、デュオ オリノコ、ここ数ヶ月、ずっとあたためてまいりました。

彼らのリハーサルを聴いていますと、
ヴァイオリンとギターの取り合わせ、これがまたいいんですよね〜☆

これからどんどん夢のふくらむプロジェクト、
是非是非聴きにいらしてください!

ヴェネズエラとラテンアメリカの音楽
〜ヴァイオリンとギターで愉しむ〜

2015年7月17日(金)7:30pm 開演

演奏:デュオ オリノコ
   ポール エレラ(ヴァイオリン)
   稗田 隼人(ギター・クワトロ)

イタリアンレストラン エレガンス http://www.elegance-net.jp/

*お食事代と投げ銭がかかります*


2015年6月19日金曜日

つづいてのご案内

今度のご案内はかおり出演コンサートです・・・

軽井沢で聴く待望の古楽コンサート
        ↑なんかとても嬉しいお言葉をつけていただきありがとうございます♡

2015年7月4日(土) 2:30pm 開演

会場:軽井沢コルネ 
   長野県北佐久郡軽井沢富が丘229
会費:3000円(要予約)
お問い合わせ:karuizawa-cornet@abeam.ocn.ne.jp
                     0267-44-1230 大澤

今回はアニマコンコルディアではないのですが、
アニマコンコルディアと同じ編成。
しかもパイプオルガンが聴けてしまうという
豪華なプログラムとなります〜。

この雰囲気の中で、
寺神戸亮さん(vn)・上村かおりさん(ヴィオラ・ダ・ガンバ)ご夫妻
そして今井 奈緒子さん(オルガン)の豪華キャストと一緒に
ローゼンミュラー、シュメルツァー、ビーバーなどを演奏します。

長野県外の方々も、
嬉しいことに土曜日ですからね〜。
軽井沢ですしね〜。
観光を楽しみながら、ちらっとコンサートにもお出かけください☆


上記の作曲家たちのお話はまた追って書いていきますね。










ご案内


告知でございます♫


いきなり難しい顔でのご挨拶で失礼とは思いながら(笑)、ご案内させていただきます。

前回のららら♪クラシックでコレッリを演じましたパウル、
時を経てまた豹変いたしました・・

イメージとしては、若かりし頃の・・です。

かなりの無理を感じるものの笑、
メイクさんと彼なりの努力の成果で
なんとか口元くらいは面影を表現できているでしょうか・・・?

このところ私たちもハマっている作曲家なので楽しみでございます。。。

良かったら観てくださいね。

【放送日時】
本放送 2015年6月27日(土)21:30~ Eテレ(全国放送)
再放送 2015年7月2日(木)10:25~



2015年5月14日木曜日

音楽が聞こえてくる演奏

今日は、パウルと私が今繰り返し聴きたくなる(聴いています!)演奏をご紹介します。

ヴェネズエラの音楽をこよなく愛するギター奏者との出会いがあって、
パウルはヴァイオリン&ギターデュオのグループを立ち上げ、
現在仕込み中☆☆☆

いつかどこかでご紹介できるのを私も楽しみにしているところです。

グループのベースになるのはもちろんヴェネズエラ音楽ですが、そこにとどまらず、好きな作品をどんどん紹介していこう、というのが彼らのモチベーションです。
ギタリストは作曲もするので。
そのレパートリーの開拓のためにリサーチしていたパウルが
たまたま見つけた演奏を今日はご紹介したいと思います。



何も気をてらうようなものではないんですが、
純粋にそこに音楽がありかんじで、
気がつくと、じっと聴き入っている
作品の中に連れていってくれる感じ。

何がその魔法なのか、ついつい分析してしまいます笑。

音の物語を二人が読み取って共有しているから、
それぞれの息が自然ピッタリ寄り添っていて、
素晴らしい対話になってる・・

こんな少女たちが
天然で持っているものなんだなーと思うと嬉しい。


心に響く演奏というのは、人によっても、環境によっても、聴くタイミングによっても
変わってきますから、
これが正しい、というものはありませんが、
今、これにハマっています・・・






2015年5月12日火曜日

ありがとうの言霊?

今日は朝から不思議なお話で始まりました。

お茶を飲みながら、ペラペラとめくっていた広告に書かれていた記事が、
なんとも不思議で感動的だったので、ご紹介します。

洞爺湖にある佐々木ファーム、農業を営む村上さん夫婦のお話。

奥様のさゆみさんのご実家が専業農家で、旦那様の貴仁さんは婿として入り、
農業を営むように。

「自分たちは無農薬を食べて、出荷する野菜は農薬まみれ」
といった現実を知って愕然、何とか現状を変えたいと思っても、
「理想論では飯は食えない」という先代との関係は険悪になるばかり。

そんな状況では当然経営も下向きで、借金生活。
限界を感じて、一からやり直そうと思っていた矢先・・・

いつものように子供達を寝かしつけた後、夫婦喧嘩になってしまう。
途中で子供の様子を見に行ってみると、
なんと。。。。ご長男の大地くんの心臓が止まっていたと。。。。


息子さんを亡くされて、毎日泣いて暮らすご夫妻。
そんなある時、本をプレゼントされ、読んでみるとそこに

「ありがとうと十万回唱えれば奇跡が起こる」
と書いてある。

半信半疑ではあるものの、とにかく藁にもすがりたい気持ちで暮らしていたご夫妻は、
とにかく「ありがとう」を言い続ける。
ということは、仕事のときもだから、
ぶつぶつ「ありがとう」といいながら、畑の作業をしているわけ。

すると、卸先から、
「野菜の味が変わった」と言われるようになったとか・・
そして自分自身にも変化が。
ありがとうと言い続けているうちに、
地球上のすべての命に感心がわき起こってくる。
虫も、雑草も大切な命。
そんなわけで自然に、農薬や肥料が使えなくなってしまった。

今の佐々木ファームのありがとう農法(自然農+ありがとう♡)は
こうして生まれたそうです。

しかし、話はまだここで終らない!

「なくなった大地くんのためにも、ありがとう農法で農業をやっていこう!」
そう決めた矢先、さゆみさんが病に。。。

ネフローゼ(尿に蛋白がでてしまうために、血液中の蛋白が減ってしまってむくみを起こしてしまう症状。)と診断され、治療法もなく、明日死ぬかもわからない。
さゆみさんは自宅療法を選択され、食事療法から瞑想から、あらゆるものを取り入れて
病と向き合うが、なかなか良くならない。

大地くんの命日の晩、さゆみさんは感極まって
「私は死んでもいい。だけど、もしやることがあるなら生かしてください。
もしそれがみんなの役に立てることなら生かしてください。」
と大地くんに祈り、泣き続けました。

満月の翌日、さゆみさんはトイレに行くとおしっこがとまらない、
一度出てもまた行きたくなる。その繰り返しを三日三晩。

次の満月、翌々月の満月も同じことが起こり、むくみで膨れていたお腹も、80キロにもなっていた体重も元通りに。。。。


大地には大地のエネルギーがあり、
人にも生まれたときからそれぞれに備わっているモノがある。
「ある」ものから未来をつくる楽しみを伝えることが、
私たちの生きている理由。

とさゆみさんは言います。

自分に与えられたものに気づいた方のお話を聞くと、
起こること全ては気づけるように与えられているメッセージ的イベントなんだなあ、
と教えられますね。

このお話の映画が上映されるそうです。






2015年4月19日日曜日

付加価値

今日ネットで購入した中古本が届いたんですが、
開封してみると・・・


こーんな紙が同封されていました。

見事にも

感謝の文字が「ありがとうございます」で出来ているっ!!!!


最近、こういうちょっとした心遣いをするお店が増えたような気がします。

ネット上、顔の見えないやりとりなだけに
商品を開封する時の印象は大事なんでしょうが、
確かに、こうしたワンダフルなアイデアを送っていただくと
心がぽっとするっていうのか、
素直に嬉しい。

こういうのを付加価値、というのでしょうが、
モノが行き渡った今、
世の中全体がこの付加価値を求め始めていると感じます。

インターネット等のおかげで、音楽へのアクセスが簡単になった今、
ライブコンサートの付加価値、
音楽家も考えなくては、と自問するこのごろです。


さて、昨日こんな記事も新聞で読みました ↓





単なる節約のために取ったアクションではなく、
自分の時間と自分のスペースのため・・・
という若者たち。


自分の住居を建てる。
自分の食べ物を作る。

そのプロセスには
創造性と
そして、
「自分がいる」
という
チョー気持ちいい〜実感があります。
(余談ですが、パウルの工房も実はビデオの吉田くんらと同じ
Youtube仕・込・み・・・Viva! Youtube!)

生きること、食べること、働くこと、そして自分の時間を過ごし方
生活の中に、更なる付加価値を見いだそうとする意識が
今、芽生え始めている。

これまでの生活概念がどんどん変わり始めているんですね。
おもしろくなりそうです。










2015年4月18日土曜日

アグリエイティブな日

今日は久しぶりに暖かい晴れ。
またここからお天気が下り坂になるようなので、
早速畑に出ましたー。




 今日は草取りをして、種まきと植苗の準備♡

畑って、キャンバスに絵を描くようで面白いです。
これまた個性を感じます。

例えば。。。


パウル畑

パウルは美しい畑が好き。
(今まだ育っていませんが、丸太の枠外は芝生で包まれる予定。)
コンサートのチラシにしても何にしても、デザインに関しては
アイデア無尽蔵の彼。
その光るセンスと、妥協を許さないこだわりの気質がうかがえる畑であります・・・


さて私はというと・・・


かおり畑

ちょっとぉ〜、これは雑草ではありませんよ〜、
人参です!
わかりますかぁー?

私は、緑緑した自然農の畑が好き。

こーんなの見ると、その賑やかさと力強さにワクワクしてしまいます。

注:まだうちの畑はこんなに成熟しておりません・・



もっとも、そもそもは、
どこかで見かけた
ずぼらさんのための、耕さない農」という
タイトル惹かれたからのような気もする・・・笑

とはいっても、

実はずぼらではいられないです・・・
夏は草取りはハンパないし。

そして、

土を見たり、
時をみたり、


何より手をかけてあげないと。

一年目はわけもわからずというのもあって、
ほんとにほったらかしにしていたら、
凄まじく虫に食べられました・・・

達人いわく、

野菜も、気をかけてくれたり、手をかけてくれるものの為に生きるのだそうです。
ほったらかしにしていると、
「そんなら虫に食われた方がましだわ」
っとなるんだそうです・・

全てが理に適っているので、楽しい・・・。


たとえば、雑草とみえる草達も・・・



これ、カラスノエンドウですが、
例えばこれを草刈り機でガガーッと刈ってしまわなきゃ!
なんて気持ちで扱おうとすると、
刃にひっかかってくるし、とにかく面倒な草なんですよね。

でも、このカラスノエンドウ、
表土を守ってくれるから、空豆とか、エンドウマメとかには
有り難い草なんです。

それからこれ。



ホトケノザ。
この草が生えているところは虫害が少ないんだとか。



これは、



もう少し土を整えてあげた方がいいよー、
と教えてくれてる。

会話をしているようで楽しい。
そしてこの草達、根を張ることで土を耕してくれているから、
有り難いんですよ〜。

そうやって見ていくと、もうただの雑草ではないんですよね。

全ては完璧なんですね〜。

心が耕されます・・・

そういえば、農業のことを英語でagricultureっていいますけど、

agri=畑(ギリシャ語agro)と
cultura=耕す

が合わさってできた言葉らしいです。

cultureには教養とかっていう意味もあって、
英語だと文化って訳したりするけど、

語源は耕すってことと繋がっているんですね。


私事になりますが、
ずっとヴァイオリン弾いてきて、
「自分の音に何かが足りないな」
と感じていた時期があるんです。
(今も探し続けているわけなんだけど)

自分の道行きもなんとなく見えないような時期でもあったのですが、
その時に、冴えない私のつぶやきを聞いていた友人がふと、

「なんか、怒りみたいなもの、お腹にたまってるんだよね。
土触ってみるといいよ」

とアドヴァイスしてくれたんですよね。

そんなことから、今では畑のキャンバスに向かうようになりました。

結果、自分の音に何かが足されたかどうかは分からないけれど、
耕し耕され、
全てが繋がっていくような気がしています。

ところで、私のブログのタイトルにありますアグリエイティブ
という言葉、

agri(農)と

creative (創造的な)

を合わせた私の造語でございます。。。。




































2015年4月16日木曜日

琴線に触れる

今日は、首を長くして待っていたヴァイオリンの弦がイタリアからはるばる到着。




私たちが使用しているのは、ガット弦。
テニスで使うあのガットです。

羊の腸や牛の腸を頂戴して作ります。
羊の方が音色が繊細で良い、という論もありますが、
上の写真のものは牛。
このメーカーさんの弦のキャラクターが気に入っているので、
特に動物には今のところこだわっていません笑。

実は私も一度弦の製造を習ったことがあるんです・・・
さあ、自分で作るぞー!っと意気込んで腸を購入したところまでいったのですが・・
(今は狂牛病流行以来、生腸は譲ってもらえないということで、ソーセージ用の腸をとりあえずゲット)
機械に弱い私、弦製作の大道具たちの製作と
水びたしにできるスペース確保という、
一番最初の最初のステップでつまずいたまま、
結局冷蔵庫の中で、ハンパない量の腸の塩漬けが・・・

ソーセージの店、いずれ開店するのかって・・笑。

そんなわけで、今日のテーマは琴線♡

琴線に触れるって素敵な表現ですよね。

琴の弦って、ちょっと触れただけでも音がしますよね。
そよ風でさえつま弾けるというのか、
13本の弦がお互いに共鳴し合うので、
その響きを聴くだけでも癒されます。

ちょっとした事象にも共鳴するということを、感動しやすい心に例えた表現、
どなたが最初に表したフレーズなのか知らないのですが、
日々の生活の中で

「いやあ、今日は私、心の琴線に触れられてしまったわぁ〜」

なんてつい言ってしまうような、
感受性の豊かな過ごし方が出来たらいい感じですねぇ・・・♡

そんなわけで、今日は、私、かおりの心の琴線を触れずにはいられなかった
ヴァイオリニストを紹介します〜。

ちょっと前に、
イギリスをテーマにしたコンサートに参加させていただいたことがあります。
バロック時代のイギリス人たちが楽しみにしていたのが観劇
そのために書かれた音楽を集めたプログラムだったんです。

その頃のイギリスでは、とりわけお金持ちが観劇を愉しんだ、というわけではなく、
結構巷で劇を見ることでき、みんなの楽しみだった様です。

なので、劇の合間合間に、その頃流行っていたチューン(唄)を演奏したらしいのです。
例えば、皆さんご存知のグリーンスリーブズとかも入ってるんです。

そんなわけで、かなりフィドルを思わせるチューンということで、
ずっとアイリッシュ音楽をリサーチしていて結構ハマったんですが

そのとき見つけたのがこのフィドラー。マーティン・ヘイズです。

ひとまずじーっくり聴いてください・・



いやあ、これこそ、「心の琴線に触れた」と表現するのがピッタリの経験。
心にそのまま入ってくる、というのか。
ただただ、聴き入ってしまうというのか。


でも、面白いんですよ、
彼、さらっと言うんです。

「僕は、音楽を悪用していた時期があるんだ。20代の頃かな。
ただお金を稼ぐ為だけに弾いていた。実際、その頃は
『音楽が感情を表現できる』ってこと、全く信じてなかったんだと思う。」

逆にこの正直さがたまらない笑。

音楽に真摯に向き合ってきた人だからこそ、
さらっと言えてしまうんだと思うけれど・・・

彼をずっと遡ったバロック時代のイギリスに話をズーンととばしますと、
イギリスで活躍していたジェミニアーニというヴァイオリニストがいるんです。
(彼もチューンを感じる作品いっぱい残してます)

コレッリの弟子で、「ヴァイオリン演奏の芸術」みたいなタイトルで教本を残していて、
バロックヴァイオリンを始める時に誰もが学ぶ本なんです。
その序文にですね、

---音楽の意図というのは、耳を心地よくさせることだけではなくて、感情を表現し、人々の創造力を引き出し、心に作用し、熱情をよみがえらせること。
ヴァイオリン演奏にある芸術というのは、
「人の声」(完成なる美)という音色を
この楽器に与えること----


といったような意味合いのことが書かれているんですが
(教本にしてはロマンチックな序文♡こーんな時代だったんですねー)

マーティンのヴァイオリンの音色は
そんな”肉声を感じる何か”があるように思います。




















2015年4月13日月曜日

継続は力。

桜に雪がかぶった不思議な今年の春、今日は久しぶりに春日和の日曜でしたね〜☆




皆様どんな春の一日を愉しまれたのでしょう?
こんな感じ?

サンサーンス『春は目覚めて』歌 マリア・カラス
https://youtu.be/xPayceuu2Pk


それとも・・・

こんな感じ?

「4月のパリ」歌 エラ・フィッツジェラルド
https://youtu.be/AZxrvslGt5w


さてさて、すっかり更新が滞っておりました・・・

そういえば、
息子の剣道のお稽古でちょうど先生から
「継続は力」
というお話を頂いたところ。

若かりし頃は、この言葉は教訓じみているとしか受け取れなかった私も、
この力に偉大さを感じるようになりました・・

だって、
ほんとに難しいんですもの・・・笑。


教訓じみていると感じていた背景には、

継続=反復  →努力が必要

という受け取り方しかなかったからでしょう。

(しかも、努力といわれると、
なにか強いられる感があって・・・)


でも、継続って、やっぱり楽しくなきゃ、できない。

だから、「楽しくなるようにするはどうしたらいいのか?」という
工夫をすることなんだな、
っと最近思います。

実はとても創造的な行為、
なのですね。


継続していてもう一つ素敵なことは、
流れにのっている心地よさ
かもしれません。


継続=ワクワク

三日坊主なりに、
こんな公式が見えてくるようになりました〜

とはいえ・・
流れから外れてしまった今日は
実は必死で書いています・・ゼーゼー。。。

ひとまずは、とにかく書いて、
またどうか、次につながりますように。


締めくくりに・・・・

先ほどの「4月のパリ」、
バージョンが違うと、同じ歌でもこんなにもしっとり聴けるのですよ↓
                       

私が目にした美しい春日和の         https://youtu.be/fCsNg6XB3dg
写真とともにお愉しみください。













それでは皆様、
また素晴らしい一週間をお過ごしくださいー♡


















2015年3月28日土曜日

パウルの挑戦!

こんにちわ。Kaoriです。アンサンブルグループ、アニマコンコルディアのヴァイオリン弾きです。サイトはこちら→ www.animaconcordia.com

今日はアニマコンコルディアのかたわれヴァイオリニスト、パウルのお話です〜。


あるときはヴァイオリン弾き、






ある時は俳優・・・・



*プロの俳優さん、ごめんなさい!
某国営局放送のクラシック音楽番組で作曲家限定
演技出演しているだけです・・・



ある時はクラフトマン・・・



主にヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの弓を作るんですが、
いつの間にか、自分の作業場まで建ててしまいました・・笑



まあ、この他にも木こりやったり、農夫やったり、
とにかく七変化で挑戦を続ける彼ですが、

一番最近の彼の挑戦が
ヴィオラ・ダ・ガンバ弓。



ヴィオラ・ダ・ガンバは
貴族にもてはやされたバロック時代の楽器。
楽器そのもの、形から音色からとても優雅なんですが、


演奏する姿が



手を広げる天使の優雅な姿に似ているということも、
*矢と冠をもつ天使にご注目!↓



美しさに敏感な貴族の方々にもてはやされた理由の一つなのでしょう♥

パウルは以前にも一度ガンバの弓を製作しているのですが、
自分が演奏するヴァイオリンの弓奏法と

(今日はなぜか天使三昧♡)

ガンバの弓奏法とではかなり違いがあるため、
しばらく手探りなところがありました。

あれから数年ぶりの挑戦・・・





秋から大事に温めてきて
オギャアと産まれたガンバ弓、
早速ヨーロッパへ飛び立っていき・・
お陰様で、ガンビストの嬉しい声を頂きました−♡

↓(もう少しパウルの弓をご覧になりたい方はこら)
http://www.animaconcordia.com/


さてさて、パウルの次なる挑戦は・・?






おおおーっ??????











2015年3月27日金曜日

言わないから、分かって・・

お読みいただき、ありがとうございます!
半農ヴァイオリニストKaoriです。www.animaconcordia.com



春うらら、梅をひとしきり愉しんだ後は・・

じゃじゃーん






スイセン(ラッパズイセン)真っ盛りですね〜☆


スイセンというと、ギリシャ神話で出てくるナルキッソスにちなんだ花。
ナルシスト、っていうじゃないですか?
あれです。(英語だと、文字通りナルシス、と呼ばれています)


ナルキッソスはとても美しい青年。
森の妖精達が恋心を寄せるのですが、
彼は、つれなくも妖精たちを拒みます。


「神に対する侮辱だー!」

と怒った女神ネメシスは

ナルキッソスに魔法をかけ、自分しか愛せないようにしてしまう・・

ナルキッソスは水面に写った自分の姿に恋をし、
その人に触れることもできず、
ただただ、
水面に写る自分を眺めながら死んでいってしまう・・・というお話。



カラヴァッジョ「ナルキッソス」

ナルキッソスの亡くなった水辺に咲いていたのがスイセンなのだそうですが、

こうしてちょっとうつむく姿・・・




水辺を眺め続けるナルキッソスのようだ、
ということで、彼にちなむ花とされています。
ですから、花言葉は

自己愛。

ナルキッソスがかかった魔法はごめんだけれど、

様々な転機が訪れ、何かと忙しくなるこの季節、

自分に向き合い
そして自分を大事にする。
そんなひと時を今一度、持ちましょうよ

っと言って咲いてくれているのかもしれませんね。



さて、言葉なき花のメッセージと同じなのが、
絵画の世界。


いきなりですが、この絵・・・

どんな感覚を覚えますか・・?



ブロンツィーノ 愛の寓意


ロンドンに滞在していた時、ナショナルギャラリーで
その迫力と艶っぽさ、鮮やかさに圧倒され、
自宅に飾っていた(もちろん本物じゃありませんよ!笑)絵です。

ところが、毎日眺めていると、

喜ばしい場面なのか、
それとも実は怪しい絵なのか、

見れば見るほど、分からない
とっても不気味、
しかしなんとも言えない艶やかさに惹かれてしまう。

とても不思議な感触でおりました。

先日、中野京子さんの著書「怖い絵」を読んでいましたら、
この絵が取り上げられていました。

作家でもある中野さんならではの文章力が、
絵画を至近距離で、生々しく感じさせてくれるので


あえて私は詳しくここで書きませんが、

この絵のタイトル「愛の寓意」とは・・

寓意の意味を辞書で調べますと、

ある意味を、直接には表さず、
別の物事に託して表すこと。

つまり、
私、言わないから。
分かって・・

ということ。

知る人ぞ知る
あなたなら分かるわよね・・・(ニヤリ)?

といったところでしょうか。

かなり試されている感ありますが、
実はこの寓意、
バロックの時代は流行っていたのでございます。
(そいでもって、音楽はもちろん格好の材料だったわけ!)

謎・・
分からないからこそ、
自分の感覚を研ぎすませて
内側に入っていくことができる

そーんな時間をくれるのがアートなんですね♡


どうでもいいんですが、
ブロンツィーノの絵右上の「時の翁」と解釈されている髭の老人、

古楽界のパパである彼にそっくり・・・笑


ヴィーラント・クイケン






















2015年3月26日木曜日

違う目で見てみる

先日コンサートでご一緒した演奏家が、高校生時代まで蝶の採集をしていたんだ、というお話をしていました。

「今思えば、殺して標本にするんだから、残酷なことしてたよなー」

という彼に、何がそんなに魅力だったのか尋ねると、やはり「美しさ」だったと。

以前観た「天国の青い蝶」という映画、
世界で一番美しい蝶といわれているブルーモルフォを
死ぬ前に見届けようとした子の話なんですが、
蝶の妖艶さが、映画に超常的な印象を加えていたのをよく覚えています。



フランソワ・ジェラール『クピドとプシュケ』1798年
ルーブル美術館


この絵も、やっぱり蝶が何とも言えない印象付けをしていますよね。
どうしても、蝶に目がいってしまう。


この絵のお話は、クピド(キューピッド)がプシュケという少女に恋をしたお話。
(ギリシャ神話らしい、紆余曲折がありますので、詳しい話を知りたい方は、
↓こちらのブログで書いてくださった物がとても分かりやすいです。)
http://sanmarie.me/eros_psyche/

プシュケというのは、
ギリシャ語では「息」とか「魂」とかという意味で、このお話、


魂(プシュケ)は愛(キューピッド)をもとめる
という主題で流行っていたんですって。

じゃあ、そこに蝶とは・・・?

って、の象徴だったそうです。

プシュケ(人間)とキューピッド(神)の恋物語なんですが、
プシュケはキューピッドとの愛のために
様々な苦をのりこえて、
最後神体を授かるそうなんですが、
その時に、蝶の羽が生えたそうです。
幼虫からさなぎになって、成虫になる、という、
成長の段階が象徴となって、
プシュケの話と重なったのでしょう。

ちなみに、めでたく結ばれたプシュケとクピドは
「悦び」という名の女の子を授かるそうです。

魂+愛=悦び

いい図式ですね〜❤


イエスと蝶も一緒に描かれることがあるそうです。
幼虫(生)– さなぎ(死)– 成虫(復活)
ということだそうです。



そんなことを知ると、
「ほお〜」

っと思って楽しいですね。
(もっといろいろ知りたい方にオススメ本↓)

モチーフで読む美術史 (ちくま文庫)





でも、たとえばそれを知らなくても、
やっぱりこの絵を観た時、
蝶のモチーフがなんとなく心に残りますよね。

この蝶があることで、
全体の雰囲気の中に
色っぽい豊かさが増しているのは明らか。


だから、たとえ知らなくても、
感じている自分はいる、ということ。

知ってても知らなくてもいい。
感受している自分を探すこと、
なのかもしれません。

音楽でも、物語を音で描写している作品がたくさんありますよね。

どのくらい伝わるんだろう?
ということがすごく知りたい私は、
作品の名前だけ伝えるにとどめて、

(例えば、ビーバー作曲ロザリオのソナタより「受胎告知」https://youtu.be/sIl4SNjHiyI
良かったら想像力、試してみてください・・。)

「この情景読めます?」

と聴く方がたに尋ねたりしたこともあるのですが、
それぞれに物語が浮かぶようです。

「じゃあ、物語が設定されていない曲はどうなるの・・・?」


ということになるんですが、
その物語を、聴きながら自分で創る、
というのが、これまた楽しい鑑賞になるんですよねー。

観る、聴く・・
感受する側も一緒に創造できるのが
芸術なんですね。













2015年3月24日火曜日

魅力的になりたければ、謎をまとうこと

タイトルに書いたフレーズは、残念ながら私の言葉ではありませんで、
ココ・シャネルの一言・・

前回は着物の文様のお話をしました。

その日にふさわしいテーマを身にまとい
見る方はそれを読みといてその日を感じる。

知的興奮さえ覚える粋なおしゃれのお話を聞いていただきましたが、

今度は西洋篇でお届けしたいと思います。

ところで・・・
いきなり話が外れますが

私が専門とするバロック音楽、
「聴きやすいですね〜」
「癒しですね〜」

とおっしゃる方と

「よく分からないんです↓」

とおっしゃる方といらっしゃいます。

「よく分からないんです」とおっしゃる方も
素晴らしい感性だと思います。

そう感じることは、的を得ているんです。

だって、まず普段聴きなれないものは、すっと体には入ってきませんよね。
なにせ、200年以上も前の人たちが聴いていた音楽なんですものね・・・
200年前の人たちの感覚さえ、想像できるものではないし・・

とはいっても・・・

実は、音に対する反応という意味で考えると、
感覚的なところっていうのは、
人間である限り、結構同じだと思います。

200年前に用いられていた音の使い方、
私たちの聴き慣れているヒット曲なんかで
使われていたりします。

でも、やっぱりその時代時代の作風というのがあって、
つまり、美の追求の仕方はその時その時
違ってくるので、
その作風が読み解けないでいると、
「なんだか分からない」
という気持ちが働いて、
「分からない」と思った瞬間から、
感覚の穴が閉じてしまう。



私が最近体験した「分からない」はモダンアート。

ニューヨーク滞在中に、
賛否両論で有名なアーティスト、ジェフ・クーンズの展覧会を観に行ったんですが、




「何がなんだか全く分からん・・・」

ゴッホやモネなどの絵のように
色彩や筆遣いを楽しむ、とかいうんじゃないので、

どこをどうみたらいいのか戸惑い、
一体そのメッセージが何なのか、全く分からないのです。

最初は一人で観ていたのですが、
遠方で夫君は「なるほど〜」という面持ちで作品を眺めているため、
その隣で説明をしている義理の兄のそばで私も鑑賞することに。

そのおかげでしょう。
しばらくすると、なんとなく読み取る鍵みたいなものをつかませてもらったようで、
感覚の穴がポツポツと開いてきた。

だからと言って、メッセージが読めたとかどうかは定かではないのですが、
自由に感じれるようになるから、ある意味それだけで楽しいしおもしろい。


というのも、
ジェフ・クーンズ自体は
美術作品が隠された意味を持っているということを否定していて、
「意味は最初の一瞥で受け止められたものだけで、
作品それ自体の中にあるものと、
受け止められるものとの間にギャップはない」
と言ってるんです・・・

そんなこと言われてもー、
マイケルジャクソンと猿がキンキラの陶器になっている姿を観て、

「・・・で?」
と感じた私はどうしたらいいのー!?
と思いましたけどね。。。



あ、でもキンキラは感じたわけだ!(笑)

つまりそこからもっと自分の感覚の紐をといていけばいいのか・・

兄の話を聞いているうちに、その紐解きの仕方をなんとなく教わったような気がします。

もっとも、美術史の流れやジェフ氏の流れ全体を知っている兄の注釈が
あったからこその読み解きだったような気もするけどぉー・・

そういう兄も(彼もアーティストなんです)


Arturo Herrera

自身の作品について、


「これって、何かしら自分から発信するメッセージや意味はあるんだよね?」

と尋ねると、

「あるにはあるが、それを知ってもらおうという思いではおらず、
とにかく観る人が受け止めたことそのものが作品のメッセージ。」

・・・的な返答でした。。。

ややこしいわー。


人はやっぱり
謎の妙薬に惹き付けられるってことなのかなー。

その謎の中で、作品と自分自身との共有が始まる
そんな体験的鑑賞のできる作風がモダンアートなのかな、と思います。

そうするとやっぱり、ゴッホやモネの時代の眼鏡で観ては
感覚的に通じないはずですよね。



同じように、
音楽でも紐解きの仕方を知れば、
感覚のツボが開いてきます。

「分からない」と感じたらしめたもの。
自分とその作品が共有できる何かが
その背後に隠れていますよー。





あらら、
今日はこの絵について書こうと思っていたのですが、





あえてのまま、幕を閉じることといたしましょう(笑)。











2015年3月19日木曜日

形に込める思いとその力

こんにちわ!アニマコンコルディアKaoriです。www.animaconcordia.com

先日、着付けのお稽古で面白かったのが
文様のお話


着物の模様に使われるモチーフが持つ意味なんですが、
吉祥文様といって、
吉を呼ぶモチーフなんですよね。

代表的なのはもちろん
松竹梅や亀、鶴。

は古代から、が依りつく樹とされていて、
また、常緑樹でいつも蒼々としているから
長寿の意味と重ねられる。

は真っすぐ、
しなやかで強い、
成長も速いことが
祈りの対象。

は別名が「好文木」で、
学問が栄えると立派な花をつける樹、という言い伝えがあるらしい。
そしてまた、
「梅」=「産め
という語呂合せも・・

樹では他に
さすが日本の樹というだけあって、
この樹には稲の神様が宿っているとされているんですよね。
桜の開花状況をみて
その年の豊凶を占っていたようです。

今でも、畑の種まきや植え付けの時期は
桜が咲き始めたら・・
って言いますよね。

他のシンボルも紹介しましょう。

フクロウは「不苦労

は「末広がり

この辺までは結構誰でも知っているかな。
(実は私、フクロウ知らなかった・・汗。
よく観光名所とかでフクロウのお土産見かける度に
・・ホウ?っと不思議だったのです。)

紅葉
鶏冠に似ているんで、
立身出世のシンボル。

それから皆様、この模様、見たことありません?






これ、麻の葉なんです。つまり大麻。
剣道の道着なんかで私は見かけました。
子供の産着なんかでよく使われてたらしいんですが、

この大麻もとっても成長がはやく
種撒いて3ヶ月もすると、
2メートルくらいにもなってしまうらしい。
しかもとっても丈夫。

実は大麻って、日本では神様に捧げる
とっても神聖な植物なんですよね。
神社にいくと、神社大麻っていう
お守りのお札、ありますよね。


子供の成長を願って
白い綿の産着に
お母さんが麻の葉を縫い入れていく姿・・




実に素敵な模様なんですね。

あとみなさんこれ・・・





籠目(かごめ)というのですが、これは鬼が嫌うっていうんで
魔除けの文様だったらしいです。
子供などの霊が浮遊するの食い止めたりする意味があったとか。

つまり、あのかごめかごめの唄
籠に閉じこめられてしまった鳥(魔物か霊?)
いつ出てくるのー?

そいでもって、

自分の真後ろの人をあてるって・・

なんだか、結構スリルのある感じの遊びだったんでしょーか・・・汗


気を取り直して・・・





これなんか、若い娘さんのお召し物によく見られる印象があるんですが、
矢羽根、矢絣といって
「矢は射ったら戻ってこない」
ってことで、結婚での縁起物


さてさて、これは紋。長襦袢とかで、よくみる模様です。






魚の鱗ということですが、私の着付けの先生によると、
蛇がとぐろをまいた形でもあるんだそうです。






ヤマタノオロチっていうくらいで、日本では山の神水の神さん。
私達を守ってくれるというわけです。



着物を着る、ということは
そういった縁起物や魔除けの力を身に纏っているということ。
ただの模様ではなくて、文様に守られて
過ごしているのよ。

という先生の言葉がとっても印象的でした。

言霊と同じように、
全てのものはそういった思いが
形となったもの、そして人に作用するものなのかもしれません。

音楽も実は、こうした文様と同じ
象徴みたいなものがあって、
聴く人に知らず知らずに作用していく、
という仕組みがあるのですよ。

また、別の機会にお話したいと思います。




























2015年3月15日日曜日

テレマン part 2

そうこうしているうちに、テレマン公演の日がやってまいりました。

昨日は移動の車中で、彼が書いたブロッケスの受難オラトリオを聴いておりました。

ブロッケスというのは、当時のハンブルグ出身のドイツ詩人。

ドイツ語協会なんかを設立しちゃったりしていて、ドイツ語、そしてドイツ文学に貢献した大物詩人だったのでしょう。

昔は実はドイツ語って、今のように整った言語じゃなかったんです。

地域によっての方言みたいなものがかなりあって、ドイツ全体共通言語といった感じではなかったみたい。

まあ、神聖ローマ帝国と言われるような時代から、絶えず領土が増えたり減ったりしてたわけで、今で言うポーランドやオランダ、ベルギー、様々な国が領土だった時期もあるわけだから、とにかくラテン語、イタリア語、フランス語、オランダ語、諸々が話されているところにどーんっとドイツ!と言っているわけ。


しかも、イタリア文化、フランス文化なんかは洒落た文化とされていたから、洒落たい貴族はやたらとイタリア言葉、フランス言葉を混ぜていたらしく、

もう、訳の分からないチャンポン状態笑。

それがそもそものドイツ語だったとさ。

今のドイツ語からは想像できませんよね〜。


まあ、今の日本でも、やたらカタカナ言葉入れて話すこと、ありますよね。

(もうコンピューターなんかになると、カタカナばっかりで、Windowsにやたら聞かれる質問、全く何言ってんだかわかんなくて、とりあえず「はい」をクリックして深海にハマったこととか、ありません?私は何も聞いてこない、という理由でMacへ逃げました笑)


なので、「おい、ドイツ語、こんなことではあかん。」

っと言う文化人たちが、

『美しいドイツ語』

これに文化の花を咲かせる瞬間がバロック時代なのです。


まあ、これも、ルターが聖書をドイツ語に訳したあたりから大きく動きはじめたのではないかしら…

ドイツ語協会、というのはそういう背景があるのではないかと思います。

そんな著名なブロッケス、一つ彼の名言をご紹介しましょう。

「愚か者は、
金を持って死んで行くために
貧乏に暮らす」


うぉう、うぉう、これだけの言葉数で
これだけのメッセージ性、
やりますな、うむ。

このブロッケス、オラトリオというものを書きました。
オラトリオといえば、宗教を題材にしての抒情詩、
もっとわかりやすくいうと
劇のように情景をリアルに感じれるように
書かれた形のもの。

バロックの「生々しい表現」を象徴するような形式とも
言えるでしょうね。

彼のオラトリオは
『臨終のイエス』

日本でいう、武蔵弁慶の闘いみたいな
人の心を掴む永遠のテーマですね。

これが数カ国語に翻訳されたようですから、
ロングセラーだったということでしょう。

これに音楽家たちがインスピレーションを受けて
こぞって音で描写を加えた、

ヘンデルも、
テレマンも。

(他、是非聴いてみたいのが、
シュテルツェルという作曲家のもの。
オススメらしい。)

今日の話し、テレマンじゃないのかい、

っていうくらい前置きが長くなりましたが、

刺激を受けたテレマンのブロッケス受難オラトリオ、

冒頭のsinfonìa、

すっごいいいです。

なんだか、
モーツァルト?いや、ベートーヴェン?
みたいな、時代を超越した感じの始まり。

そして、

オーボエはイエス?

と思わせるような演出。


そこに絡み寄り添う
ヴァイオリンの音色の使い方!


 中間部にくるとでテレマン、
オーボエになんとまあ、大それたことを...

それを聴けばもう溢れんばかりのエモーションに
押されていくようで

たまらなくなるのですー。



私はルネ•ヤコブの録音を聴きましたが、散々饒舌に語った後に、

最後にヴァイオリンの一言で

私たちの気持ちを
これから始まる話へと引き込んでくれるんです。


彼の楽器の使い方には
本当にセンスの良さを感じます。

いやあ、テレマンのイメージ、
変わります。







































2015年3月7日土曜日

テレマン

こんにちわ。アニマコンコルディアのヴァイオリン弾きKaori です。

アニマコンコルディアのホームページはこちら。www.animaconcordia.com


来週末は久しぶりに名古屋へ行きます。

中部地区の古楽愛好家に結成された名古屋バロック音楽協会、
アニマコンコルディアの名古屋公演の際には
会報に掲載していただいたり、いつもお力を貸していただいておりました。

ここの代表をされている片岡さんがリサイタルを開催されるので
ご一緒させていただきます・・


片岡さんは毎年必ずご自分でリサイタルを企画されていて(脱帽!)
今回はテレマン三昧プログラムでございます・・

詳しくはこちら。
名古屋バロック音楽協会 
http://www.nagoya-baroque.com/cgi/caldiary/caldiary.cgi

フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ
そしてチェンバロ、というゴージャスな品揃え。

それぞれ違った個性を持つ楽器四つが一緒になって会話する
まるで、
うな重とステーキと寿司とパスタが一気に味わえてしまうような
(あまり嬉しい組み合わせじゃないじゃないか・・・)

まるで、
ピザ生地にチョコとナッツを振りかけて、カプチーノといただいたら
すっごい美味しかった!っというような
(まだわかりにくいか・・)

まるで、
ワイン、前菜、メイン、デザートとフルコースを頂いた後の
全行程の満足感というのか
(・・頑張りました・・)

そういった感覚が味わえる四重奏曲をテレマンは書きました。

そしてこのコンサート、
なんとなんと、その四重奏曲集の一つの巻を全部やってしまうという
(巻には6曲はいっておるのでございます・・汗)

かなりコアで、

かなりレアなコンサートでございます。


はっきり言いまして、

お話を頂きました時には

こ、これは・・
挑戦状・・・

かなりマラソニックでございます。


作品のエンターテイメント的充実性を楽しめるのはもちろんのこと、
ミュージシャンが汗かきもがく、
そんなエンターテイメントも楽しめるかもしれません笑。

まあ、ヴァイオリンというのは、そもそも抒情からヴィルトゥオーゾまで、
大抵忙しく動き回るものですが(ほほほ・・自慢げ?)


しかし、とっても優雅で上品な楽器である
ヴィオラ・ダ・ガンバ、

テレマンはそのガンバを、
この作品ではまるでヴァイオリンのように動き回らせるのでございます。


しかしテレマン、
巷でよく聞かれる名前ではありながら、
なんとなく印象の弱い作曲家のイメージ?というのが
無くはないのですが、
(多作な作曲家なので、いろいろ聴いているうちにテレマンの手の内を読める、と思ってしまうところにあるのかも・・?)

いやしかし、いろいろと演奏してみるとやはりこの人、
ホントに書き方知っていたなー、と

そして、其々の楽器の可能性が明確に読み取れていた人なんだなー、と

感心するばかりでございます。

学校で必ず教わる
ヘンデルとバッハとも親交があつかったわけですから・・
音楽セレブなわけですよね笑

音の職人、しかも匠、というところでしょうか。
すごいです。


そのすごさ、ちょっとやそっとでは紹介しきれないですが、
今日から来週の公演日にかけて
ちょっとづつテレマンのご紹介ができたらな、と思います。

今日はまずはご挨拶までに、1曲だけご紹介して・・

コンサートの演目とは関係ありませんが、

今日のような土曜日の朝、
或は、
夕暮れ時の空を見上げながらでもよいでしょう、

テレマン作 トランペット協奏曲 ニ長調の一楽章

是非聴いてみてください。

通常はキンキラで
おめでたい時に参上するトランペットですが、

そのトランペットがしっとりと歌い奏でる
素敵な曲でございます。

できればバロックトランペットで聴いていただきたいなー。
どこか温かみを含んだ音色です・・


ちなみに、ちょうど一週間後、3月14日(土)は
なんとなんとテレマンの誕生日ですよー。


その一日前にイブ公演する片岡さん、
さすがオツだなー。














2015年3月5日木曜日

怨念。

今日はとうとう、今季初めてのウグイスの歌声を聞きましたよー。




























あ、いや、ごめんなさい。本物のウグイスなんです。ホントです・・
なかなか姿まで撮れないんで
こんな画像でごまかしました・・























これから一気に、動物から植物から様々なものが顔を出し始め、
音、色、にぎやかになりますね。
花粉症で春が憂鬱な方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、
いろいろ試しながら乗り切ってくださいませ。




前回の着物のお話続きます・・・

今回は、ちょっとおどろおどろしい表題にしてしまいました。



怨念。。。。
この言葉、とっても久しぶりに聞きました。


先日の着付け教室でのことなんですが、
ふとしたタイミングで先生が

「着物は、リサイクル等で買ってはいけませんよ。」

っとおっしゃるのです。


・・・・?



「怨念がつくから、ダメ!」



親から受け継いだものだったりなら良いらしいのですが、
リサイクルのように、誰のものだったか分からないものは、
素性というのか、着物にまつわるいきさつが分かりませんよね。

そのモノに染み付いている念というものがあるので、
気を付けなさい、ということなのです。




変な言い方になってしまいますが、
これぞ日本文化・精神だわー



っと、妙に感心する私でした・・



確かに、モノでも心があると感じる瞬間、ありますよね。


身近なものでいうと、車。


以前私はまったく無頓着だったんですが、
エンジンオイルを替えたり、車を洗ったりするたびに夫が


「ほら、音聞いてご覧よ。喜んでるじゃない。走りも違うよ。」

って言うんです。



この人何いってんだぁ?でも、その感性いいねー。

なんて微笑んでいたんですが・・


いや、ほんとだ、喜んでるわ。。。。。



私たちの家なんかもそうです。

私たちの家はもう築30年以上にもなる古いお家なんですが
(古いといっても、築200年とかいうお家が立ち並ぶ近所では充分若い笑)

引っ越してきた当時は、
家に見られているなー、という感触でした。

面白いのが、動物達も見に来るんです笑


ウサギ、鹿?(まさかそこまでのどかでもないと思うのですが、あの夜、足としっぽを見てそう思った・・たぶんイノシシ?)、
とにかくいろんな動物が私たちの居間の窓のそばで一旦立ち止まっていくので、

うわあ、これから動物に囲まれての毎日〜?

なんて興奮していたら、

なんてことはない、どいつが越してきたのか確認したかっただけのようで、


しばらくすると、めったに出てこなくなりました笑。



話が激しくずれていきそうなので、家の摩訶不思議のお話は
またの機会にいたしましょう。



・・・というわけで、先生のお言葉がどーんとお腹に響いていた私なのですが、
ふと、


「あれ?そいじゃあ、楽器はどうなんの・・・?」



ヴァイオリンというと、
ゆうに200年とかを越えてきて、
たっくさんの人々に演奏され、
たっくさんの喜怒哀楽の中に埋もれ、
たっくさんの物語を持っているんですよね。


確かに、
ヴァイオリンでも、似たようなアドヴァイスを頂いたことがあります。


「ヴァイオリンは不健康なものを選んじゃいけないよ。
                      運命が変わってしまうから。」


例えば、過去に見た楽器では
それはそれは有名な製作家の楽器なんですが、
表板、裏板、横板、それぞれ同じ製作家の別のヴァイオリンの残骸(失礼!)
を寄せ集めて出来たヴァイオリンとかもあるんです。
(それが不健康なのかどうか、という判断はあくまでも個人的ですよ。
「その事実があるから」ということでの判断というよりは、
演奏した時「私のヴァイオリンではないな」という感覚が残った、というだけです。)



尊敬する友人のその言葉は、
これまで楽器と向き合うための私の「眼」を養ってきてくれたと思います。


でも、結局巡り会わせ、というものがあると思います。

だから、
どんな楽器であれ、
自分が手にしているということは、
その楽器から学ぶことがある、ということなのです。




これまでいろいろなヴァイオリンに巡り会い、また育てられてきた私ですが、

やはり楽器は弾き手を選んでいるように思います。

もっとしっくりする言い方をすると、


楽器と、それ自体が持つ波動に似通ったものを持つ人とが
お互いに自然に引き寄せられていく


そんな感覚でしょうか。

自分を例に挙げても、

それぞれの成長過程にあったヴァイオリンが私を探してくれて、

次のステップへと新しい楽器をまた連れてきてくれている。


ほんとに人との巡り会いと同じですね・・・




そんなことを考えると、
どんな物語を背負っているのかも分からない古着でも、
まず見てみることは逆に大事なのではないかな、っと思います。


日々努めて心身を浄め、
調和とつながっていられるよう
精進を続ける。
そうすると
全くそれと異なるような空気や念を持ったものは、
引き寄せられないはずです。


怖がらず、
自分の勘というものを信じて、
敢えてそのモノの背景を感じてみる。


こういう「眼」というのか、
感性を育て鍛えることは
大事なんじゃないかな。


そしてもっというと、
どんなものでも、
自分が愛情をかけて持つことによって
「自分のもの」になっていく・・

そんなふうに
無限に変化していく可能性を
全ては秘めているのではないかな。