2012年12月30日日曜日

ハモることの魔法

なんと言うメソッドだったか思い出せないが、耳を育てる、という訓練法を大学時代のピアノの先生に教わった事があり、レッスンで興奮したことを覚えている。特に現代の奏法では音程については独特な取り方があって、私の学生時代も「シャープを高めに意識して」とか、「導音は出来るだけ根音に近い音程で」とか教わった事がある。オーケストラをバックにするときは自分のソロが引き立つように、オケより何ヘルツか高めに調弦する、そうするとソロの音色がより輝きを増して引き立つ、ということもよく聞いたものだ。それはそれで「音の色」というものに敏感になった結果でアイデアとしては悪くないが、楽譜の中で書かれている「和声」としてみたら、結局ずっとハモらないまま弾くって事なんだよなー、という「?」を抱えていたのも覚えている。そんなとき、副科のピアノのレッスンでこの「耳を育てるメソッド」のことを聞いた。とても単純な練習で、ピアノで五度を弾きながら(例えばドとソ)、そこにハモる三度(ミ)を五度の響きに溶け込ませるように歌っていく。与えられた五度の中に調和するミが鳴ると共鳴を起こして、まるで百人の合唱が歌っているかのように自分の耳元で鳴り響くのだ。これがとんでもない快感でハマりにハマったものだった。 今私たちが使用しているバロックヴァイオリンでも同じようなことが言える。ガット弦を使用していて、金属弦よりも音が弱い、と言われたりするけれど、いやいやこのガット弦、そしてバロックヴァイオリンの素晴らしさは、ハモる音を鳴らすと楽器がよく鳴り、音もよく伸びるのだ。(反対に言えば、調和しない音程を弾いている限り、全く「鳴らない」とも言えるから厳しい、ということでもある・・・。) 調和にはすごい魔法と力が備わっている!共鳴の法則に基づいて。 「私たちも実は四弦のギターにとても似ていて、四つのエネルギーフィールドの中にあります。自身が調律された楽器になると、人生の出来事をただ体験するのではなく、自分で創り出す事ができます」という記事を目にして、よくわからないままにしかしドキっとして、ふと教わったメソッドの快感を思い出した。

2012年12月29日土曜日

休暇という時間

子供が学習するプロセスに、時々驚かされることがあります。一晩寝かせたら、弾けるようになっちゃった、みたいな。 例えば、自分が子供の頃にも、一週間ほとんど練習していなかったのに、なぜかレッスンで先生にほめられたり、という経験は皆さんあるでしょう。当時は「なんか先生ご機嫌だったなあ」と思っただけでしたが、どうやら、その「何もしなかった」期間に何か起きているらしい。経験によって体に記録されたことが、その〔休暇〕時間にリラックスした状態の中で熟考され、熟成するのでしょう。 休符が「音の無い音」と理解することで音楽の中で生かされるように、休暇も単なる一時停止ではなく、「熟成」として生かしたいものです。

2012年12月23日日曜日

体も心を持っている

自信がなくってもいい。でも、あたかも自信があるような大きいジェスチャーを自分の身体でとりあえずつくってみる。人前で出来なければ、トイレでもいい。鏡の前でそっとしてもいい。自信の崩れそうな気持ちの時、2分そうしてみる。そんなのホントの自分じゃない、と思うだろう。でも、いずれそれがホントの自分になってしまうから、それまで「ふり」をし続ければいい。 エイミー カディーさんの興味深い話。

弓製作中の休憩話から ペルナンブーコ

南アメリカとヨーロッパを行き来する貿易船。さて、珍しい食べ物や、貴重品を船に積むのに使われたのが、樽。中にぎっしり詰まった樽は重くて、秤などはとても使えない。そこで、船員たちは、その木樽をトントン、と叩いて、その音で重さを計っていたんだとか。すっごい音楽的・・・・。1トン、2トンという単位は、その「トン」の響きなんだそうです。大体1000キログラムの時の「トン」という響きを皆、経験で感じていた、ということですね。すごい。 (ちなみに、この話を聞いて感動した筆者は、自慢げに息子に話してやったら、「それ、テレビでやってたよ」と言われてしまった) しかし、ここで今日の話は終わりません。この樽の木材に使われていたのが、南アメリカで豊富に見つかっていた「ペルナンブーコ」だったらしいです。ペルナンブーコは柔軟な木材なので、樽の形を作るにはおそらくちょうど良い材料だったのでしょう。 ヨーロッパへ到着して、荷解きをすると、その樽のお役目はなくなるのですが、またここで解体した樽のペルナンブーコ材を欲しがる人々がたくさんいたのです。これは以前にも書きましたが、このペルナンブーコ材、染料としてとても珍重されていたのです。 さてさて、果たしてその樽、弓用には使われたのでしょうか・・?ちょっとソリがついちゃってると思うから、どうでしょうね・・・。 ある午後の休憩話、これにて完結。綴り終える間に、弓、仕上がりました。

2012年12月21日金曜日

普段気づかないでいること

 日々、忘れちゃうけど、創造の力をみんないただいている。

http://www.youtube.com/watch?v=fXynrsrTKbI

2012年12月20日木曜日

弓製作中の休憩話から 航海

新大陸を発見することで、ヨーロッパはいろんな「お宝」に出会うことになります。ゴールド、カカオ、コーヒー、砂糖・・。野菜なんかでいうと、トマトと言えばイタリア、ジャガイモといえばオランダやドイツ、と思われがちですが、これらがわたってきたのは「カリブ海」からなのです。「ひょっほほ〜い」とばかりにヨーロッパの大国はカリブ海の島々につばをつけはじめます。スペインはキューバ、プエルト・リコ、サント・ドミンゴの一部、イギリスはジャマイカ、バルバドス、その他小さな島々、フランスはサント・ドミンゴの西部、マルティニーク、グヮダルーペ、等。 そして、その「お宝」をヨーロッパに持ち帰るため、貿易目的での船がどんどんと出入りするようになります。 2003年制作されたアメリカ映画「マスター アンド コマンダー」、新大陸発見時代よりずっと後、ナポレオン戦争中の1800年頃の話になりますが、航海に生きる人々の男気がたっぷり楽しめます。音楽を愉しむ場面ではモーツァルトやボッケリーニも音で登場しますよ。

2012年12月19日水曜日

バロック人と私たち

バロック時代というのは、ルネッサンス(再生)の延長線上にあって、目覚めと変化の時。忘れてはいけないのは、混沌が在ってくれるお陰で目覚めがある。世界の終末とか騒がれる現代の私たちも、決してバロックの人々から遠くないんじゃないかな。目覚めのチャンスを喜びながら大いに喜怒哀楽しよう。

2012年12月18日火曜日

弓製作中の休憩話

弓につかう材木の話になった時、たちまち新大陸発見の時にまで遡りました。 520年まえの1492年、コロンブスが大西洋を横断して、南アメリカを発見するのです。 520年というのをかなり前と感じるか、わりと最近と感じるかは人様々でしょうが、このとき、まだヨーロッパ人は日本には来ていないのです。1271年に、マルコ・ポーロが東方見聞録という、アジアへの旅についての記録を残していて、ジパングについても語っていますが、彼が辿り着いたのは中国で、ジパングについては中国大陸で聞いた日本のイメージです。実際にヨーロッパ人が日本の地に足を踏み入れるのは南アメリカへの旅のおよそ50年後。 スペインのコロンブスが南アメリカに辿り着いたあたりの時期は、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがインドに到着しています。 さて、南アメリカを発見した、といっても、大陸を発見したのはコロンブスの四回目の航海でやっと、なのです。一度目はドミニカ共和国のあたり、「な〜んだ、島じゃん」といって、しかし美しいその場所を目の当たりにして既に〔新世界」を思ったことでしょう。2回目はキューバ。つまりバハマ諸島を発見したということですね。3回目もまた島。やっと四回目に、大陸に辿り着いたのです。パウルの母国、ヴェネズエラを発見したのもその時。ヴェネズエラでもコロンビア側のマラカイボのあたり。マラカイボには海に面して大きな湖があるのですが、そこに辿り着いたようです。湖上に建つ家々をみて、「ヴェネツィアみたいだ」とつぶやいたコロンブス(スペインのコロンブス、と書きましたが、コロンブスはもともとイタリア人)。ヴェネスエラの「スエラ」の部分はヴェネツィアの縮小辞なんです。

おフランス 

フランス料理といえば、美しく、繊細な芸術的料理として今では知られていますが、もともと洗練されたその調理法はもともとはイタリアからやってきました。もっともそれも14世紀くらいまでに遡りますが。ぐっと変わってくるのは、1500年の前半にイタリア・フィレンツェの大富豪メディチ家から、カトリーヌがフランスに嫁ぐところからです。彼女が一緒に料理人を連れてきたからです。彼女は食とファッションにはこだわっていたので、日夜晩餐会。そこで眼を見はるメニューが・・。例えば子牛や豚の脳みそのシチューなんかとか・・。ケーキ、アイスクリームなど、今親しまれている色とりどりのスイーツもその頃。
さて、ヴァイオリンのフランスでの歴史も、この流れにかなり似ています。

2012年12月14日金曜日

ヴェルサイユ

まず、ヴェルサイユというのがどのくらいゴージャスかというと、1612年、ルイ13世が結婚したときのお祝いで、無料の公開コンサートが開かれたんだって。公開、といってもどの程度の人々に公開だったのか、っていうのはちょっとわからないけれど、ロイヤルパレスの前の広場というから、誰でも見れたんじゃないかな。何と200のトランペット、オーボエ、歌声、あらゆる楽器が天に向かって鳴り響いていたんだとか!もちろんパレス内も、教会も、すべて音楽で埋め尽くされていた。おー、何とゴージャス!
話はそれますが、オランダの女王の誕生日には、誰でも通りに出て、商売をすることが許されて、子供も自分のいらなくなったおもちゃを通りに並べて売ったりするんだけど、そのときの町はほんとに人、物、物、人、に埋め尽くされていて、しかもその陽気さといったらすごいもの!まあ、日本のねぶた祭やリオデジャネイロの祭りでも同じなんだけど、つまり200のトランペットでそんな状態、ということになるわけで・・・いいなー、いってみたい!

ヴィルトゥオーゾ

ジャン・ミシェル・モルクという人が、「偉大なるヴァイオリニストたち」という著書を出版しています。クライスラーからクレーメル、50人の名ヴァイオリニストたちが紹介され、それぞれの演奏CD-ROMもついています。それぞれ個性の光るプレイヤーばかりで、いい時代ですね。しかし、紹介されているプレイヤーの中で一番古いのがクライスラーということは、1800年の後半からの話。じゃあ、その前はどうなの?っというと、これまたガツっと250年ほど遡ってみても、なかなかすごいんです!ヴェルサイユ宮殿が盛り上がっていた時代、王様がお抱えにしていたヴァイオリニストはなんと24人!すべての奏者名を突き止めているわけではありませんが、楽譜に残されている複数のヴァイオリニストたちの譜面からそのすごさがうかがわれます。残念ながら、録音は残っていないので、私たちが変わって録音、ということで(まがいものの複製にはなってしまいますが・・笑)ルクレール、2本のヴァイオリンのためのソナタを全集録音しました。まずは第2巻を2枚組でリリース、そしてこのたび、第1巻がもうすぐ、もうすぐ産声をあげるところです! そしてライヴァルもまだまだやってきますぞ。

2012年11月14日水曜日

神聖な場所

舞台上というのは、不思議なことにその人の生き様のようなものが、隠すところ無く見えてしまうような場所のようです。



2012年11月7日水曜日

木の性格と、音の表現

バロック弓で主に使われる材料はスネークウッド。クラシカル弓でもスネークウッド製のものは最近よく見かける(そして良い弓もたくさんある)が、ペルナンブーコ材の性格がモーツァルトなどの語法でよい力を発揮するような気がする。 スネークウッドは硬い木だ。反面、予測不能に「パキっ!」と真っ二つになったりして(注:弓になってからは、落としたりしない限りさすがに割れたりはしないですよ、苦笑)「竹を割ったような」性格も持っている。弓としての反応を言えば、どっしりと密度の濃い重さと安定感があって、非常に明確に「スピーチ」してくれる材質だ。ペルナンブーコはというと、スネークウッドに比べるとカステラみたい。なんとも言えない軽快さと、そしてしなやかさがある。ハイドンのユーモアや、モーツァルトの屈託の無い柔らかさ、これらにうまく反応してくれる感じだ。材木の種類で全てが解決するわけではもちろん無い。一本の木を弓という姿に移し替える際に、その材木の特性・特徴を読んでそこからうまく弓を象ることができれば、必ずそれなりの機能を持ち合わせたものが生まれるし、それが製作過程の魔法でもあるのだが、木の性格と音の性格がリンクする、という瞬間も間違いなくある。そんなとき、「音楽って自然と人間のアートだな」とうれしくなる。

2012年11月4日日曜日

伝わるかどうか

カリフォルニア大学で心理学を教えるアルバート・メラビアン名誉教授が行った研究によると、メッセージを伝えるにあたって、 言葉(内容)で7% 話し方で37% 仕草で55% を伝えているそうだ。 言葉はわずか7%、ある意味、「内容はなんであれ」ということになる。 知っているだけでは伝わらない。 感じたまま、だけでも説得力がない。 体(行動)に繋がらなければ具現しない。 三つの絶妙なバランス、 これは話すときも、音を作るときも同じ。

2012年10月30日火曜日

失敗

宇宙には、失敗という観念はありません。失敗と受け取るのは「私」です。

今は亡きステファン・グラッペリの演奏に、かつて「ミス」を聞いたことはありませんでした。
かといって、「ノーミスだ」とか「完璧だ」という印象すら与えません。
ただ、自然なままです。
あまりインスピレーションの湧かない相手とセッションをしているときも、
「なんかつまんないなー」という自分をアートにしてしまっています。ただただ、自然です。

2012年10月29日月曜日

もやの中の散歩

もやの中を歩くのって結構わくわくするものです。 一面真っ白、今までの光景が一変して、日常的じゃなくなる。 周りも行き着く先も全く見えないから、「自分が自分と一緒にいる」という感覚が戻ってくる。 そう思うと、「先が見えない」という状況もそう悪くないです。 そういえば、ステファン・キングのThe Mistという映画を観たことがあります。 なかなかすごい結末、考えさせられます。

疲れたと感じるとき

自分から離れてしまっていると、何かに「やらされている」と感じてしまうもの。 「やらされている」と感じると、人は疲労を感じます。 音楽は、作曲家たちが自分と向き合った時の結晶です。

あまいとうがらし・・・?

来月11月11日(日)の公演のお知らせです。「あまいとうがらし」は今回の公演名なのです。
今回は特に場所がおすすめ。旧古河庭園内になる洋館でのアフタヌーンコンサートです。
 
最近東京駅が復元されて話題を呼んでいますが、あの東京駅を設計した辰野金吾の師、イギリス人建築家のジョサイア・コンドルが手がけたのが、今回の公演場所、古河財閥の邸宅です。
先日、打ち合わせでうかがった際に、洋館を少し見せていただいたのですが、洋と和を絶妙なセンスで斬新な形でとりこんだ、コンドルのユニークさが随所に見られ、また、あらゆる細部に繊細な心遣いが施されていて、感動的でした!
 
ここはいつでも入れるわけではないんですよ。はがきで応募予約をして、決められた日時にガイド付きで見学するんです。今回の公演では、聴衆の皆さんのみ入 館が許され、見学にとどまらず、洋館でのゆっくりとした時間を音楽付きで楽しめる、という、お休みにはぴったりな音楽会です。
 
目の前に広がるのはバラ庭園。今年は暖かかったために、バラのシーズンが後にずれ込んでいるようで、おそらくまだバラも楽しめるかも、と関係者の方はおっしゃっていました。庭園を散策した際には、抹茶をご賞味いただける場所があるそうです。
 
さて、公演についても、今回のアニマコンコルディアはちょっと新しい試み、です。
パウルの母国、ヴェネズエラの音楽を中心にご紹介!
アニマコンコルディアのリサイタルで、軽い気持ちでアンコールに演奏したヴェネズエラのワルツ、これがヤケにうけまして・・バロックとヴェネズエラ音楽とで対話しながらの舞台になります。
 
「コンドルが目指したのは『和洋折衷』ではなくて、和と洋の『調和』なんです」とガイドしてくださった女性がおっしゃっていたコメントがとても印象的だったのですが、私たちの公演も、バロックの叙情とヴェネズエラの叙情に調和というか共鳴を感じて、の企画です。
どうぞ、建築しかり、音楽しかり、様々な「アート」を味わえる日曜となりますように・・・
 
ちなみに、あまいとうがらし、ってほんとにヴェネズエラでそういう名前のとうがらしがあるんですよ。あまい、というか、「からくない」という意味です。お料理にコクがでて、ヴェネズエラでは欠かせないスパイスです。