2015年3月28日土曜日

パウルの挑戦!

こんにちわ。Kaoriです。アンサンブルグループ、アニマコンコルディアのヴァイオリン弾きです。サイトはこちら→ www.animaconcordia.com

今日はアニマコンコルディアのかたわれヴァイオリニスト、パウルのお話です〜。


あるときはヴァイオリン弾き、






ある時は俳優・・・・



*プロの俳優さん、ごめんなさい!
某国営局放送のクラシック音楽番組で作曲家限定
演技出演しているだけです・・・



ある時はクラフトマン・・・



主にヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの弓を作るんですが、
いつの間にか、自分の作業場まで建ててしまいました・・笑



まあ、この他にも木こりやったり、農夫やったり、
とにかく七変化で挑戦を続ける彼ですが、

一番最近の彼の挑戦が
ヴィオラ・ダ・ガンバ弓。



ヴィオラ・ダ・ガンバは
貴族にもてはやされたバロック時代の楽器。
楽器そのもの、形から音色からとても優雅なんですが、


演奏する姿が



手を広げる天使の優雅な姿に似ているということも、
*矢と冠をもつ天使にご注目!↓



美しさに敏感な貴族の方々にもてはやされた理由の一つなのでしょう♥

パウルは以前にも一度ガンバの弓を製作しているのですが、
自分が演奏するヴァイオリンの弓奏法と

(今日はなぜか天使三昧♡)

ガンバの弓奏法とではかなり違いがあるため、
しばらく手探りなところがありました。

あれから数年ぶりの挑戦・・・





秋から大事に温めてきて
オギャアと産まれたガンバ弓、
早速ヨーロッパへ飛び立っていき・・
お陰様で、ガンビストの嬉しい声を頂きました−♡

↓(もう少しパウルの弓をご覧になりたい方はこら)
http://www.animaconcordia.com/


さてさて、パウルの次なる挑戦は・・?






おおおーっ??????











2015年3月27日金曜日

言わないから、分かって・・

お読みいただき、ありがとうございます!
半農ヴァイオリニストKaoriです。www.animaconcordia.com



春うらら、梅をひとしきり愉しんだ後は・・

じゃじゃーん






スイセン(ラッパズイセン)真っ盛りですね〜☆


スイセンというと、ギリシャ神話で出てくるナルキッソスにちなんだ花。
ナルシスト、っていうじゃないですか?
あれです。(英語だと、文字通りナルシス、と呼ばれています)


ナルキッソスはとても美しい青年。
森の妖精達が恋心を寄せるのですが、
彼は、つれなくも妖精たちを拒みます。


「神に対する侮辱だー!」

と怒った女神ネメシスは

ナルキッソスに魔法をかけ、自分しか愛せないようにしてしまう・・

ナルキッソスは水面に写った自分の姿に恋をし、
その人に触れることもできず、
ただただ、
水面に写る自分を眺めながら死んでいってしまう・・・というお話。



カラヴァッジョ「ナルキッソス」

ナルキッソスの亡くなった水辺に咲いていたのがスイセンなのだそうですが、

こうしてちょっとうつむく姿・・・




水辺を眺め続けるナルキッソスのようだ、
ということで、彼にちなむ花とされています。
ですから、花言葉は

自己愛。

ナルキッソスがかかった魔法はごめんだけれど、

様々な転機が訪れ、何かと忙しくなるこの季節、

自分に向き合い
そして自分を大事にする。
そんなひと時を今一度、持ちましょうよ

っと言って咲いてくれているのかもしれませんね。



さて、言葉なき花のメッセージと同じなのが、
絵画の世界。


いきなりですが、この絵・・・

どんな感覚を覚えますか・・?



ブロンツィーノ 愛の寓意


ロンドンに滞在していた時、ナショナルギャラリーで
その迫力と艶っぽさ、鮮やかさに圧倒され、
自宅に飾っていた(もちろん本物じゃありませんよ!笑)絵です。

ところが、毎日眺めていると、

喜ばしい場面なのか、
それとも実は怪しい絵なのか、

見れば見るほど、分からない
とっても不気味、
しかしなんとも言えない艶やかさに惹かれてしまう。

とても不思議な感触でおりました。

先日、中野京子さんの著書「怖い絵」を読んでいましたら、
この絵が取り上げられていました。

作家でもある中野さんならではの文章力が、
絵画を至近距離で、生々しく感じさせてくれるので


あえて私は詳しくここで書きませんが、

この絵のタイトル「愛の寓意」とは・・

寓意の意味を辞書で調べますと、

ある意味を、直接には表さず、
別の物事に託して表すこと。

つまり、
私、言わないから。
分かって・・

ということ。

知る人ぞ知る
あなたなら分かるわよね・・・(ニヤリ)?

といったところでしょうか。

かなり試されている感ありますが、
実はこの寓意、
バロックの時代は流行っていたのでございます。
(そいでもって、音楽はもちろん格好の材料だったわけ!)

謎・・
分からないからこそ、
自分の感覚を研ぎすませて
内側に入っていくことができる

そーんな時間をくれるのがアートなんですね♡


どうでもいいんですが、
ブロンツィーノの絵右上の「時の翁」と解釈されている髭の老人、

古楽界のパパである彼にそっくり・・・笑


ヴィーラント・クイケン






















2015年3月26日木曜日

違う目で見てみる

先日コンサートでご一緒した演奏家が、高校生時代まで蝶の採集をしていたんだ、というお話をしていました。

「今思えば、殺して標本にするんだから、残酷なことしてたよなー」

という彼に、何がそんなに魅力だったのか尋ねると、やはり「美しさ」だったと。

以前観た「天国の青い蝶」という映画、
世界で一番美しい蝶といわれているブルーモルフォを
死ぬ前に見届けようとした子の話なんですが、
蝶の妖艶さが、映画に超常的な印象を加えていたのをよく覚えています。



フランソワ・ジェラール『クピドとプシュケ』1798年
ルーブル美術館


この絵も、やっぱり蝶が何とも言えない印象付けをしていますよね。
どうしても、蝶に目がいってしまう。


この絵のお話は、クピド(キューピッド)がプシュケという少女に恋をしたお話。
(ギリシャ神話らしい、紆余曲折がありますので、詳しい話を知りたい方は、
↓こちらのブログで書いてくださった物がとても分かりやすいです。)
http://sanmarie.me/eros_psyche/

プシュケというのは、
ギリシャ語では「息」とか「魂」とかという意味で、このお話、


魂(プシュケ)は愛(キューピッド)をもとめる
という主題で流行っていたんですって。

じゃあ、そこに蝶とは・・・?

って、の象徴だったそうです。

プシュケ(人間)とキューピッド(神)の恋物語なんですが、
プシュケはキューピッドとの愛のために
様々な苦をのりこえて、
最後神体を授かるそうなんですが、
その時に、蝶の羽が生えたそうです。
幼虫からさなぎになって、成虫になる、という、
成長の段階が象徴となって、
プシュケの話と重なったのでしょう。

ちなみに、めでたく結ばれたプシュケとクピドは
「悦び」という名の女の子を授かるそうです。

魂+愛=悦び

いい図式ですね〜❤


イエスと蝶も一緒に描かれることがあるそうです。
幼虫(生)– さなぎ(死)– 成虫(復活)
ということだそうです。



そんなことを知ると、
「ほお〜」

っと思って楽しいですね。
(もっといろいろ知りたい方にオススメ本↓)

モチーフで読む美術史 (ちくま文庫)





でも、たとえばそれを知らなくても、
やっぱりこの絵を観た時、
蝶のモチーフがなんとなく心に残りますよね。

この蝶があることで、
全体の雰囲気の中に
色っぽい豊かさが増しているのは明らか。


だから、たとえ知らなくても、
感じている自分はいる、ということ。

知ってても知らなくてもいい。
感受している自分を探すこと、
なのかもしれません。

音楽でも、物語を音で描写している作品がたくさんありますよね。

どのくらい伝わるんだろう?
ということがすごく知りたい私は、
作品の名前だけ伝えるにとどめて、

(例えば、ビーバー作曲ロザリオのソナタより「受胎告知」https://youtu.be/sIl4SNjHiyI
良かったら想像力、試してみてください・・。)

「この情景読めます?」

と聴く方がたに尋ねたりしたこともあるのですが、
それぞれに物語が浮かぶようです。

「じゃあ、物語が設定されていない曲はどうなるの・・・?」


ということになるんですが、
その物語を、聴きながら自分で創る、
というのが、これまた楽しい鑑賞になるんですよねー。

観る、聴く・・
感受する側も一緒に創造できるのが
芸術なんですね。













2015年3月24日火曜日

魅力的になりたければ、謎をまとうこと

タイトルに書いたフレーズは、残念ながら私の言葉ではありませんで、
ココ・シャネルの一言・・

前回は着物の文様のお話をしました。

その日にふさわしいテーマを身にまとい
見る方はそれを読みといてその日を感じる。

知的興奮さえ覚える粋なおしゃれのお話を聞いていただきましたが、

今度は西洋篇でお届けしたいと思います。

ところで・・・
いきなり話が外れますが

私が専門とするバロック音楽、
「聴きやすいですね〜」
「癒しですね〜」

とおっしゃる方と

「よく分からないんです↓」

とおっしゃる方といらっしゃいます。

「よく分からないんです」とおっしゃる方も
素晴らしい感性だと思います。

そう感じることは、的を得ているんです。

だって、まず普段聴きなれないものは、すっと体には入ってきませんよね。
なにせ、200年以上も前の人たちが聴いていた音楽なんですものね・・・
200年前の人たちの感覚さえ、想像できるものではないし・・

とはいっても・・・

実は、音に対する反応という意味で考えると、
感覚的なところっていうのは、
人間である限り、結構同じだと思います。

200年前に用いられていた音の使い方、
私たちの聴き慣れているヒット曲なんかで
使われていたりします。

でも、やっぱりその時代時代の作風というのがあって、
つまり、美の追求の仕方はその時その時
違ってくるので、
その作風が読み解けないでいると、
「なんだか分からない」
という気持ちが働いて、
「分からない」と思った瞬間から、
感覚の穴が閉じてしまう。



私が最近体験した「分からない」はモダンアート。

ニューヨーク滞在中に、
賛否両論で有名なアーティスト、ジェフ・クーンズの展覧会を観に行ったんですが、




「何がなんだか全く分からん・・・」

ゴッホやモネなどの絵のように
色彩や筆遣いを楽しむ、とかいうんじゃないので、

どこをどうみたらいいのか戸惑い、
一体そのメッセージが何なのか、全く分からないのです。

最初は一人で観ていたのですが、
遠方で夫君は「なるほど〜」という面持ちで作品を眺めているため、
その隣で説明をしている義理の兄のそばで私も鑑賞することに。

そのおかげでしょう。
しばらくすると、なんとなく読み取る鍵みたいなものをつかませてもらったようで、
感覚の穴がポツポツと開いてきた。

だからと言って、メッセージが読めたとかどうかは定かではないのですが、
自由に感じれるようになるから、ある意味それだけで楽しいしおもしろい。


というのも、
ジェフ・クーンズ自体は
美術作品が隠された意味を持っているということを否定していて、
「意味は最初の一瞥で受け止められたものだけで、
作品それ自体の中にあるものと、
受け止められるものとの間にギャップはない」
と言ってるんです・・・

そんなこと言われてもー、
マイケルジャクソンと猿がキンキラの陶器になっている姿を観て、

「・・・で?」
と感じた私はどうしたらいいのー!?
と思いましたけどね。。。



あ、でもキンキラは感じたわけだ!(笑)

つまりそこからもっと自分の感覚の紐をといていけばいいのか・・

兄の話を聞いているうちに、その紐解きの仕方をなんとなく教わったような気がします。

もっとも、美術史の流れやジェフ氏の流れ全体を知っている兄の注釈が
あったからこその読み解きだったような気もするけどぉー・・

そういう兄も(彼もアーティストなんです)


Arturo Herrera

自身の作品について、


「これって、何かしら自分から発信するメッセージや意味はあるんだよね?」

と尋ねると、

「あるにはあるが、それを知ってもらおうという思いではおらず、
とにかく観る人が受け止めたことそのものが作品のメッセージ。」

・・・的な返答でした。。。

ややこしいわー。


人はやっぱり
謎の妙薬に惹き付けられるってことなのかなー。

その謎の中で、作品と自分自身との共有が始まる
そんな体験的鑑賞のできる作風がモダンアートなのかな、と思います。

そうするとやっぱり、ゴッホやモネの時代の眼鏡で観ては
感覚的に通じないはずですよね。



同じように、
音楽でも紐解きの仕方を知れば、
感覚のツボが開いてきます。

「分からない」と感じたらしめたもの。
自分とその作品が共有できる何かが
その背後に隠れていますよー。





あらら、
今日はこの絵について書こうと思っていたのですが、





あえてのまま、幕を閉じることといたしましょう(笑)。











2015年3月19日木曜日

形に込める思いとその力

こんにちわ!アニマコンコルディアKaoriです。www.animaconcordia.com

先日、着付けのお稽古で面白かったのが
文様のお話


着物の模様に使われるモチーフが持つ意味なんですが、
吉祥文様といって、
吉を呼ぶモチーフなんですよね。

代表的なのはもちろん
松竹梅や亀、鶴。

は古代から、が依りつく樹とされていて、
また、常緑樹でいつも蒼々としているから
長寿の意味と重ねられる。

は真っすぐ、
しなやかで強い、
成長も速いことが
祈りの対象。

は別名が「好文木」で、
学問が栄えると立派な花をつける樹、という言い伝えがあるらしい。
そしてまた、
「梅」=「産め
という語呂合せも・・

樹では他に
さすが日本の樹というだけあって、
この樹には稲の神様が宿っているとされているんですよね。
桜の開花状況をみて
その年の豊凶を占っていたようです。

今でも、畑の種まきや植え付けの時期は
桜が咲き始めたら・・
って言いますよね。

他のシンボルも紹介しましょう。

フクロウは「不苦労

は「末広がり

この辺までは結構誰でも知っているかな。
(実は私、フクロウ知らなかった・・汗。
よく観光名所とかでフクロウのお土産見かける度に
・・ホウ?っと不思議だったのです。)

紅葉
鶏冠に似ているんで、
立身出世のシンボル。

それから皆様、この模様、見たことありません?






これ、麻の葉なんです。つまり大麻。
剣道の道着なんかで私は見かけました。
子供の産着なんかでよく使われてたらしいんですが、

この大麻もとっても成長がはやく
種撒いて3ヶ月もすると、
2メートルくらいにもなってしまうらしい。
しかもとっても丈夫。

実は大麻って、日本では神様に捧げる
とっても神聖な植物なんですよね。
神社にいくと、神社大麻っていう
お守りのお札、ありますよね。


子供の成長を願って
白い綿の産着に
お母さんが麻の葉を縫い入れていく姿・・




実に素敵な模様なんですね。

あとみなさんこれ・・・





籠目(かごめ)というのですが、これは鬼が嫌うっていうんで
魔除けの文様だったらしいです。
子供などの霊が浮遊するの食い止めたりする意味があったとか。

つまり、あのかごめかごめの唄
籠に閉じこめられてしまった鳥(魔物か霊?)
いつ出てくるのー?

そいでもって、

自分の真後ろの人をあてるって・・

なんだか、結構スリルのある感じの遊びだったんでしょーか・・・汗


気を取り直して・・・





これなんか、若い娘さんのお召し物によく見られる印象があるんですが、
矢羽根、矢絣といって
「矢は射ったら戻ってこない」
ってことで、結婚での縁起物


さてさて、これは紋。長襦袢とかで、よくみる模様です。






魚の鱗ということですが、私の着付けの先生によると、
蛇がとぐろをまいた形でもあるんだそうです。






ヤマタノオロチっていうくらいで、日本では山の神水の神さん。
私達を守ってくれるというわけです。



着物を着る、ということは
そういった縁起物や魔除けの力を身に纏っているということ。
ただの模様ではなくて、文様に守られて
過ごしているのよ。

という先生の言葉がとっても印象的でした。

言霊と同じように、
全てのものはそういった思いが
形となったもの、そして人に作用するものなのかもしれません。

音楽も実は、こうした文様と同じ
象徴みたいなものがあって、
聴く人に知らず知らずに作用していく、
という仕組みがあるのですよ。

また、別の機会にお話したいと思います。




























2015年3月15日日曜日

テレマン part 2

そうこうしているうちに、テレマン公演の日がやってまいりました。

昨日は移動の車中で、彼が書いたブロッケスの受難オラトリオを聴いておりました。

ブロッケスというのは、当時のハンブルグ出身のドイツ詩人。

ドイツ語協会なんかを設立しちゃったりしていて、ドイツ語、そしてドイツ文学に貢献した大物詩人だったのでしょう。

昔は実はドイツ語って、今のように整った言語じゃなかったんです。

地域によっての方言みたいなものがかなりあって、ドイツ全体共通言語といった感じではなかったみたい。

まあ、神聖ローマ帝国と言われるような時代から、絶えず領土が増えたり減ったりしてたわけで、今で言うポーランドやオランダ、ベルギー、様々な国が領土だった時期もあるわけだから、とにかくラテン語、イタリア語、フランス語、オランダ語、諸々が話されているところにどーんっとドイツ!と言っているわけ。


しかも、イタリア文化、フランス文化なんかは洒落た文化とされていたから、洒落たい貴族はやたらとイタリア言葉、フランス言葉を混ぜていたらしく、

もう、訳の分からないチャンポン状態笑。

それがそもそものドイツ語だったとさ。

今のドイツ語からは想像できませんよね〜。


まあ、今の日本でも、やたらカタカナ言葉入れて話すこと、ありますよね。

(もうコンピューターなんかになると、カタカナばっかりで、Windowsにやたら聞かれる質問、全く何言ってんだかわかんなくて、とりあえず「はい」をクリックして深海にハマったこととか、ありません?私は何も聞いてこない、という理由でMacへ逃げました笑)


なので、「おい、ドイツ語、こんなことではあかん。」

っと言う文化人たちが、

『美しいドイツ語』

これに文化の花を咲かせる瞬間がバロック時代なのです。


まあ、これも、ルターが聖書をドイツ語に訳したあたりから大きく動きはじめたのではないかしら…

ドイツ語協会、というのはそういう背景があるのではないかと思います。

そんな著名なブロッケス、一つ彼の名言をご紹介しましょう。

「愚か者は、
金を持って死んで行くために
貧乏に暮らす」


うぉう、うぉう、これだけの言葉数で
これだけのメッセージ性、
やりますな、うむ。

このブロッケス、オラトリオというものを書きました。
オラトリオといえば、宗教を題材にしての抒情詩、
もっとわかりやすくいうと
劇のように情景をリアルに感じれるように
書かれた形のもの。

バロックの「生々しい表現」を象徴するような形式とも
言えるでしょうね。

彼のオラトリオは
『臨終のイエス』

日本でいう、武蔵弁慶の闘いみたいな
人の心を掴む永遠のテーマですね。

これが数カ国語に翻訳されたようですから、
ロングセラーだったということでしょう。

これに音楽家たちがインスピレーションを受けて
こぞって音で描写を加えた、

ヘンデルも、
テレマンも。

(他、是非聴いてみたいのが、
シュテルツェルという作曲家のもの。
オススメらしい。)

今日の話し、テレマンじゃないのかい、

っていうくらい前置きが長くなりましたが、

刺激を受けたテレマンのブロッケス受難オラトリオ、

冒頭のsinfonìa、

すっごいいいです。

なんだか、
モーツァルト?いや、ベートーヴェン?
みたいな、時代を超越した感じの始まり。

そして、

オーボエはイエス?

と思わせるような演出。


そこに絡み寄り添う
ヴァイオリンの音色の使い方!


 中間部にくるとでテレマン、
オーボエになんとまあ、大それたことを...

それを聴けばもう溢れんばかりのエモーションに
押されていくようで

たまらなくなるのですー。



私はルネ•ヤコブの録音を聴きましたが、散々饒舌に語った後に、

最後にヴァイオリンの一言で

私たちの気持ちを
これから始まる話へと引き込んでくれるんです。


彼の楽器の使い方には
本当にセンスの良さを感じます。

いやあ、テレマンのイメージ、
変わります。







































2015年3月7日土曜日

テレマン

こんにちわ。アニマコンコルディアのヴァイオリン弾きKaori です。

アニマコンコルディアのホームページはこちら。www.animaconcordia.com


来週末は久しぶりに名古屋へ行きます。

中部地区の古楽愛好家に結成された名古屋バロック音楽協会、
アニマコンコルディアの名古屋公演の際には
会報に掲載していただいたり、いつもお力を貸していただいておりました。

ここの代表をされている片岡さんがリサイタルを開催されるので
ご一緒させていただきます・・


片岡さんは毎年必ずご自分でリサイタルを企画されていて(脱帽!)
今回はテレマン三昧プログラムでございます・・

詳しくはこちら。
名古屋バロック音楽協会 
http://www.nagoya-baroque.com/cgi/caldiary/caldiary.cgi

フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ
そしてチェンバロ、というゴージャスな品揃え。

それぞれ違った個性を持つ楽器四つが一緒になって会話する
まるで、
うな重とステーキと寿司とパスタが一気に味わえてしまうような
(あまり嬉しい組み合わせじゃないじゃないか・・・)

まるで、
ピザ生地にチョコとナッツを振りかけて、カプチーノといただいたら
すっごい美味しかった!っというような
(まだわかりにくいか・・)

まるで、
ワイン、前菜、メイン、デザートとフルコースを頂いた後の
全行程の満足感というのか
(・・頑張りました・・)

そういった感覚が味わえる四重奏曲をテレマンは書きました。

そしてこのコンサート、
なんとなんと、その四重奏曲集の一つの巻を全部やってしまうという
(巻には6曲はいっておるのでございます・・汗)

かなりコアで、

かなりレアなコンサートでございます。


はっきり言いまして、

お話を頂きました時には

こ、これは・・
挑戦状・・・

かなりマラソニックでございます。


作品のエンターテイメント的充実性を楽しめるのはもちろんのこと、
ミュージシャンが汗かきもがく、
そんなエンターテイメントも楽しめるかもしれません笑。

まあ、ヴァイオリンというのは、そもそも抒情からヴィルトゥオーゾまで、
大抵忙しく動き回るものですが(ほほほ・・自慢げ?)


しかし、とっても優雅で上品な楽器である
ヴィオラ・ダ・ガンバ、

テレマンはそのガンバを、
この作品ではまるでヴァイオリンのように動き回らせるのでございます。


しかしテレマン、
巷でよく聞かれる名前ではありながら、
なんとなく印象の弱い作曲家のイメージ?というのが
無くはないのですが、
(多作な作曲家なので、いろいろ聴いているうちにテレマンの手の内を読める、と思ってしまうところにあるのかも・・?)

いやしかし、いろいろと演奏してみるとやはりこの人、
ホントに書き方知っていたなー、と

そして、其々の楽器の可能性が明確に読み取れていた人なんだなー、と

感心するばかりでございます。

学校で必ず教わる
ヘンデルとバッハとも親交があつかったわけですから・・
音楽セレブなわけですよね笑

音の職人、しかも匠、というところでしょうか。
すごいです。


そのすごさ、ちょっとやそっとでは紹介しきれないですが、
今日から来週の公演日にかけて
ちょっとづつテレマンのご紹介ができたらな、と思います。

今日はまずはご挨拶までに、1曲だけご紹介して・・

コンサートの演目とは関係ありませんが、

今日のような土曜日の朝、
或は、
夕暮れ時の空を見上げながらでもよいでしょう、

テレマン作 トランペット協奏曲 ニ長調の一楽章

是非聴いてみてください。

通常はキンキラで
おめでたい時に参上するトランペットですが、

そのトランペットがしっとりと歌い奏でる
素敵な曲でございます。

できればバロックトランペットで聴いていただきたいなー。
どこか温かみを含んだ音色です・・


ちなみに、ちょうど一週間後、3月14日(土)は
なんとなんとテレマンの誕生日ですよー。


その一日前にイブ公演する片岡さん、
さすがオツだなー。














2015年3月5日木曜日

怨念。

今日はとうとう、今季初めてのウグイスの歌声を聞きましたよー。




























あ、いや、ごめんなさい。本物のウグイスなんです。ホントです・・
なかなか姿まで撮れないんで
こんな画像でごまかしました・・























これから一気に、動物から植物から様々なものが顔を出し始め、
音、色、にぎやかになりますね。
花粉症で春が憂鬱な方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、
いろいろ試しながら乗り切ってくださいませ。




前回の着物のお話続きます・・・

今回は、ちょっとおどろおどろしい表題にしてしまいました。



怨念。。。。
この言葉、とっても久しぶりに聞きました。


先日の着付け教室でのことなんですが、
ふとしたタイミングで先生が

「着物は、リサイクル等で買ってはいけませんよ。」

っとおっしゃるのです。


・・・・?



「怨念がつくから、ダメ!」



親から受け継いだものだったりなら良いらしいのですが、
リサイクルのように、誰のものだったか分からないものは、
素性というのか、着物にまつわるいきさつが分かりませんよね。

そのモノに染み付いている念というものがあるので、
気を付けなさい、ということなのです。




変な言い方になってしまいますが、
これぞ日本文化・精神だわー



っと、妙に感心する私でした・・



確かに、モノでも心があると感じる瞬間、ありますよね。


身近なものでいうと、車。


以前私はまったく無頓着だったんですが、
エンジンオイルを替えたり、車を洗ったりするたびに夫が


「ほら、音聞いてご覧よ。喜んでるじゃない。走りも違うよ。」

って言うんです。



この人何いってんだぁ?でも、その感性いいねー。

なんて微笑んでいたんですが・・


いや、ほんとだ、喜んでるわ。。。。。



私たちの家なんかもそうです。

私たちの家はもう築30年以上にもなる古いお家なんですが
(古いといっても、築200年とかいうお家が立ち並ぶ近所では充分若い笑)

引っ越してきた当時は、
家に見られているなー、という感触でした。

面白いのが、動物達も見に来るんです笑


ウサギ、鹿?(まさかそこまでのどかでもないと思うのですが、あの夜、足としっぽを見てそう思った・・たぶんイノシシ?)、
とにかくいろんな動物が私たちの居間の窓のそばで一旦立ち止まっていくので、

うわあ、これから動物に囲まれての毎日〜?

なんて興奮していたら、

なんてことはない、どいつが越してきたのか確認したかっただけのようで、


しばらくすると、めったに出てこなくなりました笑。



話が激しくずれていきそうなので、家の摩訶不思議のお話は
またの機会にいたしましょう。



・・・というわけで、先生のお言葉がどーんとお腹に響いていた私なのですが、
ふと、


「あれ?そいじゃあ、楽器はどうなんの・・・?」



ヴァイオリンというと、
ゆうに200年とかを越えてきて、
たっくさんの人々に演奏され、
たっくさんの喜怒哀楽の中に埋もれ、
たっくさんの物語を持っているんですよね。


確かに、
ヴァイオリンでも、似たようなアドヴァイスを頂いたことがあります。


「ヴァイオリンは不健康なものを選んじゃいけないよ。
                      運命が変わってしまうから。」


例えば、過去に見た楽器では
それはそれは有名な製作家の楽器なんですが、
表板、裏板、横板、それぞれ同じ製作家の別のヴァイオリンの残骸(失礼!)
を寄せ集めて出来たヴァイオリンとかもあるんです。
(それが不健康なのかどうか、という判断はあくまでも個人的ですよ。
「その事実があるから」ということでの判断というよりは、
演奏した時「私のヴァイオリンではないな」という感覚が残った、というだけです。)



尊敬する友人のその言葉は、
これまで楽器と向き合うための私の「眼」を養ってきてくれたと思います。


でも、結局巡り会わせ、というものがあると思います。

だから、
どんな楽器であれ、
自分が手にしているということは、
その楽器から学ぶことがある、ということなのです。




これまでいろいろなヴァイオリンに巡り会い、また育てられてきた私ですが、

やはり楽器は弾き手を選んでいるように思います。

もっとしっくりする言い方をすると、


楽器と、それ自体が持つ波動に似通ったものを持つ人とが
お互いに自然に引き寄せられていく


そんな感覚でしょうか。

自分を例に挙げても、

それぞれの成長過程にあったヴァイオリンが私を探してくれて、

次のステップへと新しい楽器をまた連れてきてくれている。


ほんとに人との巡り会いと同じですね・・・




そんなことを考えると、
どんな物語を背負っているのかも分からない古着でも、
まず見てみることは逆に大事なのではないかな、っと思います。


日々努めて心身を浄め、
調和とつながっていられるよう
精進を続ける。
そうすると
全くそれと異なるような空気や念を持ったものは、
引き寄せられないはずです。


怖がらず、
自分の勘というものを信じて、
敢えてそのモノの背景を感じてみる。


こういう「眼」というのか、
感性を育て鍛えることは
大事なんじゃないかな。


そしてもっというと、
どんなものでも、
自分が愛情をかけて持つことによって
「自分のもの」になっていく・・

そんなふうに
無限に変化していく可能性を
全ては秘めているのではないかな。




























2015年3月3日火曜日

ワクワク♡♡


こんにちわ。アニマコンコルディアのKaori です。

どんどん春に向かっていますねー。









ウチのベイビー梅も春うらら♡







そして私の月曜日はしばらくの間、日本文化と触れ合うわくわくの曜日でございます。











この人生で体験しておきたいことリストの中の一つである着物。

長男の入学式に、着物好きの友人がどうしても私に着せたい!っと
頭からつま先まで着せていただき、
着物や小物を見に連れて行ってくれたり。
着物って、コーディネートがすっごく楽しいんですよね。
着物と帯はもちろん、
半衿の色、

帯締めの色、
帯揚げの色、
ちらっと見える小物の色遣いで
着物の顔が
がらっと変わってしまうんですもの・・・






そんな着物文化へいざなってくれた友人に
着付けも習おうと思っていた矢先、


彼女も私もそれぞれ移住してしまい、
生活の変化によって
そのプロジェクトは流れてしまっていたのでした・・


しかし。



これから死ぬまで
やりたいことは全部やるぞー、

っと自分に宣言した今年、



またモリモリっとそんなチャンスがやってまいりました・・


ってゆーか、そんな大層なプロジェクトではないんで、
ささっと自分で教室通えば済んだ事なんですが(笑)



でも、

意外に「ま、いっか・・・」

で済ますことって多くありません?




私は結構そうやって心の押し入れにしまっているものがありました。

「こんなことは今は必要ないから」

っていうのが、大抵の言い訳だったかな。




でも、

必要なことって何だろう?


「必要なこと」って

自分ゴト、
世の中ゴト、

定義を変えれば
違ってくるんですから

見る角度によっても変わってくるし。







不思議なもので、


例えば必要では無いようでも、

やってみると

「この中のこれが必要だったんだ・・」

と見えてくることもある。



私にとって着物は今のところ、

新しいことを知るワクワク

そして凛とした日本文化の空気を吸わせていただける新鮮さ

(まだ2回目なんでそんな多くのことは語れませんが笑)


こんなささいなことでも


涸れていた土にみずみずしさがよみがえるような

すっごいパワーと喜びをいただいております☆




そんなわけで最近は、

ほんの些細なことでも

ワクワクしたら
すぐ飛びつくようにしております・・。







ちなみに、着物プロジェクトは
最近の私のウィッシュリストにも書き出されなていなかったような、
ほとんど忘れかけていたようなことでございました・・・




そこへ
またまたやってくる子供の入学式、


ただ、私のママダチが着たかっただけだったのです・・


「一緒に着ない〜?」

と、お誘いがかかり、


「三人だからかしまし娘!」と盛り上がり、
(他二人はかしまし娘、知らない世代だった・・・苦笑)


「みんなも着せてあげるからねー!」

っと無謀な宣言をし、

その勢いですぐさま着付け教室申し込み。
(かしまし娘になりたい、という勢いではありません笑)






結局、

なんだかんだで、


私しか着ないってことになったんですけどね・・・笑




でも、最初の一声を挙げてくれた友人に


本当に感謝。



こんなふうに、

たとえ忘れかけていたとしても、


物事が自分に近づいてきてくれるって、


素敵ですねー。



だからこそ、日々の出来事に心をオープンにしていることって、
大事です。