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2017年4月16日日曜日

アニマコンコルディア CDリリース!

アニマコンコルディア  CDリリース!


地表が芽吹きはじめました。




そして今日はイースター。

「再生」「復活」する喜びを胸に、
このイースター日、
アニマコンコルディアデュオ第3作目のCDを
リリースいたしました!


前2作で録音したジャン・マリー・ルクレールに続き、
彼のライヴァルだったギニョンをはじめ、
同時代にフランス宮廷を飾った名ヴァイオリニストたちのデュオ作品を
集めました。

ホームページにて販売しております。
もうすぐアマゾンでも販売の予定です。





2015年5月14日木曜日

音楽が聞こえてくる演奏

今日は、パウルと私が今繰り返し聴きたくなる(聴いています!)演奏をご紹介します。

ヴェネズエラの音楽をこよなく愛するギター奏者との出会いがあって、
パウルはヴァイオリン&ギターデュオのグループを立ち上げ、
現在仕込み中☆☆☆

いつかどこかでご紹介できるのを私も楽しみにしているところです。

グループのベースになるのはもちろんヴェネズエラ音楽ですが、そこにとどまらず、好きな作品をどんどん紹介していこう、というのが彼らのモチベーションです。
ギタリストは作曲もするので。
そのレパートリーの開拓のためにリサーチしていたパウルが
たまたま見つけた演奏を今日はご紹介したいと思います。



何も気をてらうようなものではないんですが、
純粋にそこに音楽がありかんじで、
気がつくと、じっと聴き入っている
作品の中に連れていってくれる感じ。

何がその魔法なのか、ついつい分析してしまいます笑。

音の物語を二人が読み取って共有しているから、
それぞれの息が自然ピッタリ寄り添っていて、
素晴らしい対話になってる・・

こんな少女たちが
天然で持っているものなんだなーと思うと嬉しい。


心に響く演奏というのは、人によっても、環境によっても、聴くタイミングによっても
変わってきますから、
これが正しい、というものはありませんが、
今、これにハマっています・・・






2015年4月16日木曜日

琴線に触れる

今日は、首を長くして待っていたヴァイオリンの弦がイタリアからはるばる到着。




私たちが使用しているのは、ガット弦。
テニスで使うあのガットです。

羊の腸や牛の腸を頂戴して作ります。
羊の方が音色が繊細で良い、という論もありますが、
上の写真のものは牛。
このメーカーさんの弦のキャラクターが気に入っているので、
特に動物には今のところこだわっていません笑。

実は私も一度弦の製造を習ったことがあるんです・・・
さあ、自分で作るぞー!っと意気込んで腸を購入したところまでいったのですが・・
(今は狂牛病流行以来、生腸は譲ってもらえないということで、ソーセージ用の腸をとりあえずゲット)
機械に弱い私、弦製作の大道具たちの製作と
水びたしにできるスペース確保という、
一番最初の最初のステップでつまずいたまま、
結局冷蔵庫の中で、ハンパない量の腸の塩漬けが・・・

ソーセージの店、いずれ開店するのかって・・笑。

そんなわけで、今日のテーマは琴線♡

琴線に触れるって素敵な表現ですよね。

琴の弦って、ちょっと触れただけでも音がしますよね。
そよ風でさえつま弾けるというのか、
13本の弦がお互いに共鳴し合うので、
その響きを聴くだけでも癒されます。

ちょっとした事象にも共鳴するということを、感動しやすい心に例えた表現、
どなたが最初に表したフレーズなのか知らないのですが、
日々の生活の中で

「いやあ、今日は私、心の琴線に触れられてしまったわぁ〜」

なんてつい言ってしまうような、
感受性の豊かな過ごし方が出来たらいい感じですねぇ・・・♡

そんなわけで、今日は、私、かおりの心の琴線を触れずにはいられなかった
ヴァイオリニストを紹介します〜。

ちょっと前に、
イギリスをテーマにしたコンサートに参加させていただいたことがあります。
バロック時代のイギリス人たちが楽しみにしていたのが観劇。
そのために書かれた音楽を集めたプログラムだったんです。

その頃のイギリスでは、とりわけお金持ちが観劇を愉しんだ、というわけではなく、
結構巷で劇を見ることでき、みんなの楽しみだった様です。

なので、劇の合間合間に、その頃流行っていたチューン(唄)を演奏したらしいのです。
例えば、皆さんご存知のグリーンスリーブズとかも入ってるんです。

そんなわけで、かなりフィドルを思わせるチューンということで、
ずっとアイリッシュ音楽をリサーチしていて結構ハマったんですが

そのとき見つけたのがこのフィドラー。マーティン・ヘイズです。

ひとまずじーっくり聴いてください・・



いやあ、これこそ、「心の琴線に触れた」と表現するのがピッタリの経験。
心にそのまま入ってくる、というのか。
ただただ、聴き入ってしまうというのか。


でも、面白いんですよ、
彼、さらっと言うんです。

「僕は、音楽を悪用していた時期があるんだ。20代の頃かな。
ただお金を稼ぐ為だけに弾いていた。実際、その頃は
『音楽が感情を表現できる』ってこと、全く信じてなかったんだと思う。」

逆にこの正直さがたまらない笑。

音楽に真摯に向き合ってきた人だからこそ、
さらっと言えてしまうんだと思うけれど・・・

彼をずっと遡ったバロック時代のイギリスに話をズーンととばしますと、
イギリスで活躍していたジェミニアーニというヴァイオリニストがいるんです。
(彼もチューンを感じる作品いっぱい残してます)

コレッリの弟子で、「ヴァイオリン演奏の芸術」みたいなタイトルで教本を残していて、
バロックヴァイオリンを始める時に誰もが学ぶ本なんです。
その序文にですね、

---音楽の意図というのは、耳を心地よくさせることだけではなくて、感情を表現し、人々の創造力を引き出し、心に作用し、熱情をよみがえらせること。
ヴァイオリン演奏にある芸術というのは、
「人の声」(完成なる美)という音色を
この楽器に与えること----


といったような意味合いのことが書かれているんですが
(教本にしてはロマンチックな序文♡こーんな時代だったんですねー)

マーティンのヴァイオリンの音色は
そんな”肉声を感じる何か”があるように思います。




















2015年3月5日木曜日

怨念。

今日はとうとう、今季初めてのウグイスの歌声を聞きましたよー。




























あ、いや、ごめんなさい。本物のウグイスなんです。ホントです・・
なかなか姿まで撮れないんで
こんな画像でごまかしました・・























これから一気に、動物から植物から様々なものが顔を出し始め、
音、色、にぎやかになりますね。
花粉症で春が憂鬱な方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、
いろいろ試しながら乗り切ってくださいませ。




前回の着物のお話続きます・・・

今回は、ちょっとおどろおどろしい表題にしてしまいました。



怨念。。。。
この言葉、とっても久しぶりに聞きました。


先日の着付け教室でのことなんですが、
ふとしたタイミングで先生が

「着物は、リサイクル等で買ってはいけませんよ。」

っとおっしゃるのです。


・・・・?



「怨念がつくから、ダメ!」



親から受け継いだものだったりなら良いらしいのですが、
リサイクルのように、誰のものだったか分からないものは、
素性というのか、着物にまつわるいきさつが分かりませんよね。

そのモノに染み付いている念というものがあるので、
気を付けなさい、ということなのです。




変な言い方になってしまいますが、
これぞ日本文化・精神だわー



っと、妙に感心する私でした・・



確かに、モノでも心があると感じる瞬間、ありますよね。


身近なものでいうと、車。


以前私はまったく無頓着だったんですが、
エンジンオイルを替えたり、車を洗ったりするたびに夫が


「ほら、音聞いてご覧よ。喜んでるじゃない。走りも違うよ。」

って言うんです。



この人何いってんだぁ?でも、その感性いいねー。

なんて微笑んでいたんですが・・


いや、ほんとだ、喜んでるわ。。。。。



私たちの家なんかもそうです。

私たちの家はもう築30年以上にもなる古いお家なんですが
(古いといっても、築200年とかいうお家が立ち並ぶ近所では充分若い笑)

引っ越してきた当時は、
家に見られているなー、という感触でした。

面白いのが、動物達も見に来るんです笑


ウサギ、鹿?(まさかそこまでのどかでもないと思うのですが、あの夜、足としっぽを見てそう思った・・たぶんイノシシ?)、
とにかくいろんな動物が私たちの居間の窓のそばで一旦立ち止まっていくので、

うわあ、これから動物に囲まれての毎日〜?

なんて興奮していたら、

なんてことはない、どいつが越してきたのか確認したかっただけのようで、


しばらくすると、めったに出てこなくなりました笑。



話が激しくずれていきそうなので、家の摩訶不思議のお話は
またの機会にいたしましょう。



・・・というわけで、先生のお言葉がどーんとお腹に響いていた私なのですが、
ふと、


「あれ?そいじゃあ、楽器はどうなんの・・・?」



ヴァイオリンというと、
ゆうに200年とかを越えてきて、
たっくさんの人々に演奏され、
たっくさんの喜怒哀楽の中に埋もれ、
たっくさんの物語を持っているんですよね。


確かに、
ヴァイオリンでも、似たようなアドヴァイスを頂いたことがあります。


「ヴァイオリンは不健康なものを選んじゃいけないよ。
                      運命が変わってしまうから。」


例えば、過去に見た楽器では
それはそれは有名な製作家の楽器なんですが、
表板、裏板、横板、それぞれ同じ製作家の別のヴァイオリンの残骸(失礼!)
を寄せ集めて出来たヴァイオリンとかもあるんです。
(それが不健康なのかどうか、という判断はあくまでも個人的ですよ。
「その事実があるから」ということでの判断というよりは、
演奏した時「私のヴァイオリンではないな」という感覚が残った、というだけです。)



尊敬する友人のその言葉は、
これまで楽器と向き合うための私の「眼」を養ってきてくれたと思います。


でも、結局巡り会わせ、というものがあると思います。

だから、
どんな楽器であれ、
自分が手にしているということは、
その楽器から学ぶことがある、ということなのです。




これまでいろいろなヴァイオリンに巡り会い、また育てられてきた私ですが、

やはり楽器は弾き手を選んでいるように思います。

もっとしっくりする言い方をすると、


楽器と、それ自体が持つ波動に似通ったものを持つ人とが
お互いに自然に引き寄せられていく


そんな感覚でしょうか。

自分を例に挙げても、

それぞれの成長過程にあったヴァイオリンが私を探してくれて、

次のステップへと新しい楽器をまた連れてきてくれている。


ほんとに人との巡り会いと同じですね・・・




そんなことを考えると、
どんな物語を背負っているのかも分からない古着でも、
まず見てみることは逆に大事なのではないかな、っと思います。


日々努めて心身を浄め、
調和とつながっていられるよう
精進を続ける。
そうすると
全くそれと異なるような空気や念を持ったものは、
引き寄せられないはずです。


怖がらず、
自分の勘というものを信じて、
敢えてそのモノの背景を感じてみる。


こういう「眼」というのか、
感性を育て鍛えることは
大事なんじゃないかな。


そしてもっというと、
どんなものでも、
自分が愛情をかけて持つことによって
「自分のもの」になっていく・・

そんなふうに
無限に変化していく可能性を
全ては秘めているのではないかな。